《恋の始まり》

題しらす 紀貫之

よしのかはいはなみたかくゆくみつのはやくそひとをおもひそめてし (471)

吉野川岩浪高く行く水のはやくぞ人を思ひ初めてし

「吉野川の岩波が高く行く水のようにはやく人を思い始めたのだ。」

「吉野川岩浪高く行く水の」は「はやく」を導く序詞。「よし」には、「由(理由)」が掛かっている。「いはなみ」には、「言わない」の意が込められている。「(はやく)ぞ」は、係助詞で強調を表し係り結びとして働き文末を連体形にする。「(初めて)し」は、過去の助動詞「き」の連体形。
私の様子が急に変わったとお思いでしょうね。今の私の心は、普段の穏やかに流れる吉野川ではありません。流れが激しく波が岩に打ちつける吉野川です。しかし、吉野川の岩波にもそれが立つ何かしらの理由があります。私にも理由があります。今、私の恋心は、あの岩波のように激しく漲っています。しかし、急にこうなったわけではありません。いわれの何かは口にしませんが、以前からあの人を思い始めていました。それが隠しきれなくなっただけなのです。
吉野川は、紀の川のことで、奈良県内では吉野川と呼ばれた。山間の渓谷で、岩が剥き出しになっている。普段は、流れがそれほど急ではないので、貴族の観光地になっていたのだろう。しかし、それでも岩波が高く、流れが速くなることもある。ちなみに、今でも、川遊びのスポットになっていて、台風などによる洪水警報も出る。吉野川はそんな川なのである。「吉野川の岩波が高く行く水の」と言えば、読み手は誰でもその様子を思い浮かべることが出来たに違いない。だから、作者はこれを序詞として用いた。普段は穏やかな岩波が時に高くなり、流れる水も速さも増す。そのイメージによって、見えない自分の心を可視化している。「はやく」は、「速く」と「早く」の意味を兼ねている。以前から激しくという意である。以前から募る思いが隠しおおせなくなり、一気に表に出る。これも恋の一面である。

コメント

  1. まりりん より:

    恋した理由は言わない、秘密と。でも、明確な理由は無くても何となく魅かれていくことって、ありますよね? 寧ろその方が多いかも。
    川の流れが早くなるように、貴女のことを考えると私の鼓動が早鐘を打ちます。思いは立つ波のように高く、どんどん高く、どこまでも行ってしまいそう。。

    • 山川 信一 より:

      この歌の新しさは、吉野川の岩波をたとえに持ってきたことなのでしょう。残念ながら、現代人の我々には今一つピンときません。ただ、吉野川は今でも川遊びもなされ、洪水も心配されていますから、現地の人ならこのたとえが実感できるかも知れません。『古今和歌集』は、物事の普遍性を意識しています。しかし、なかなか実現は難しいですね。

  2. すいわ より:

    同じものでも何かのきっかけによって思わぬ表情を見せる、それも突然に。紀ノ川というと滔々と流れるイメージがありますがその源流の吉野川は岩に砕けて荒々しいまでの姿も見せる。それも私の姿、貴女を思い始めた頃から持っていた熱情なのだ、と。「思ひ初めてし」が川だけに思いに「染まる」、心を映して水色が一瞬にして変わって行くイメージが広がりました。

    • 山川 信一 より:

      確かに「思ひ初めてし」は「思ひ染めてし」でもありますね。あなた色に染まることが恋をすることですから。恋の始まりは、ずっと前。気が付いたら恋の中にいる。そのいわれは説明できない。それが恋なのですね。

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