さかりこけ たかむこのとしはる(高向利春)
はなのいろはたたひとさかりこけれともかへすかへすそつゆはそめける (450)
花の色はただ一盛り濃けれども返す返すぞ露は染めける
「花の色はただ一時の栄えで濃いけれども、繰り返し繰り返し露は染めたのであったなあ。」
「濃けれども」の「濃けれ」は、形容詞「濃し」の已然形。「ども」は、接続助詞で逆接を表す。「ぞ」は、係助詞で強調を表し係り結びとして働き文末を連体形にする。「ける」は、詠嘆の助動詞「けり」の連体形。
花の色が濃く美しいのはただ一時的なものにすぎない。だから、それを物足りなく思っていた。しかし、気づいてみると、この花の色を出すのだって、簡単な訳では無い。露が何度も何度も降りて染め上げていったものだったのだ。花の色はそうした営みを踏まえて味わうべきものなのだ。
題の「さかりこけ」は、「下がり苔」の意で、猿麻桛(さるおかぜ)という地衣類の植物を指す。これは、深山の樹木の幹や枝からたれ下がって生える。そのため、歌の主旨との関連があまり感じられない。この歌は、この題を詠み込むことだけにしたのか。強いて言えば、「さかりこけ」は、他の樹木に寄生しているように見えるけれど、そこには人に知られぬ事情があるのだという共通点を考えたのか。
コメント
何でもそうですが最終地点の「結果」しか見えていないところはありますね。花であれば一番綺麗に咲いている状態の時を評価しますね。食卓に上る物も何気なく口にしてはいるけれど、そこに到達するまでに色々な人や工程を経てそこにある。辿った物語を知るとまた一段と味わい深いものになりますね。
大暑過ぎいよいよ辛し昼下がり鼓月墨染口に運びぬ
まりりんさんの福砂屋カステラに倣いました(笑)
歌は、背後に哲学があって、それを具体物で暗示する働きがありますね。それができる歌がいい歌なのでしょう。この歌もそんな歌です。
*我もまた銘菓探して歌詠まむ歌のお下がり沽券など捨て
一瞬の輝きの裏で、絶え間ない努力や尽力がなされること、しばしばありますね。
いま世界水泳で選手の方頑張っていますが、スポーツでもいっ時の最高のパフォーマンスの為に、繰り返し繰り返し地道な練習を繰り返すのだと思います。そんな事柄とこの歌が重なりました。
物事は表面だけを見ていてはダメなのですね。それは世界水泳にも当てはまりますね。読み手にこうした広がりを提供する歌がいい歌なのでしょう。