《初夏の別れ》

おとはの山のほとりにて人をわかるとてよめる つらゆき

おとはやまこたかくなきてほとときすきみかわかれををしむへらなり (384)

おとは山小高く鳴きて郭公君が別れををしむべらなり

「音羽の山の辺りで人を見送る時詠んだ  貫之
音羽山で小高く鳴いて郭公が君との別れを惜しんでるようだ。」

「君が別れ」の「が」は、格助詞で連体格を表す。「べらなり」は、助動詞で状態の推量を表す。
音羽山辺りで別れる人を見送る時に詠んだ。
音羽山の小高い所で郭公が高い声を出して鳴いています。あの郭公はあなたとの別れを惜しんでいるらしい。あなたとの別れを惜しんでいる私にはそう聞こえます。
作者は、旅立つ人を京都と滋賀の県境まで見送りに来た。折しも季節は初夏である。新緑の音羽山では郭公が盛んに鳴いている。清々しい季節の到来である。なのに、いつもなら、心待ちにして聞くその声も、人との別れに際しては、別れを惜しむ悲しみの声に聞こえてくると言う。自らの思いが郭公の声をそう聞かせるのである。別離の悲しみを具体的な場面、すなわち初夏と音羽山の中で描いている。

コメント

  1. すいわ より:

    本当は自分が声を上げて泣きたいのでしょう。泣いているのかもしれない。郭公の姿が見えないのを良いことに、「君との別れを惜しんで郭公が鳴いているようだね」と強がってみせる。お互いの姿が見えなくなっても郭公の鳴き声は山に響き渡る。郭公の声を聞く度にこの日の事を思い出すのでしょう。

    • 山川 信一 より:

      二人の関係によっては、郭公の甲高い鳴き声は、作者の泣き声にも取れますね。これはこの歌を贈られた人に任されます。巧みな表現の仕方ですね。
      別離は具体的な状況の中にあります。それをどう取り入れていくかのお手本お歌ですね。

  2. まりりん より:

    初夏の音羽山。新緑は目に眩しく吹き抜ける風は爽やかで、郭公の鳴き声は耳に心地よい。こんなに美しい所なのに、あなたとの別れを思うと心待ちにしていた郭公の声なのに悲しく聞こえる。自分の思いは美的感性をも揺るがせるのか。

    以前父が入院した折に、病室の窓から見渡せる夜景がとても綺麗でした。退院した後その話が出ると、父は全くそうは思えなかったと言っていました。この歌を読んで、久しぶりにその時の事を思い出しました。

    • 山川 信一 より:

      自然はその時の心持ちによって異なって感じられますね。ご自分の経験に結びついたことは素晴らしいことです。結局、読むとは自分を読むことですから。これからもこうした読みをしてください。

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