《七夕の嘆き》

おなし御時きさいの宮の歌合のうた  藤原おきかせ

ちきりけむこころそつらきたなはたのとしにひとたひあふはあふかは (178)

契りけむ心ぞ辛き織女の年に一度逢ふは逢ふかは

「同じ御世に皇后温子様が催された歌合わせの歌  藤原興風
契ったという心が本当に辛い。七夕姫が年に一度逢うのは逢ううちに入るのか。」

「契りけむ」の「けむ」は過去伝聞の助動詞の連体形、「心」に掛かる。「心ぞ」の「ぞ」は係助詞で強調。係り結びとして働き、「辛き」に掛かる。「辛き」は「辛し」の連体形。ここで切れる。「織女の」の「の」は格助詞で主格を表す。「逢ふかは」の「かは」は「か」も「は」も係助詞で、反語を表す。
七夕姫は彦星と一年に一度逢う約束をしたと聞いている。その心を思うと私は、何とも辛くなってくる。一年に一度逢うのは、逢ううちに入るだろうか。到底入りはしない。こんな辛い恋があっていいものだろうか。あってはならない。
七夕伝説に抗議している。なるほど、逢えるのは、二人にとって何よりの喜びではあろう。しかし、一年に一度の逢瀬では、逢ったことにならない。これでは、とても恋とは言えない。辛いだけでは恋じゃない。恋には、もっと喜びがあってもいい。こう言いたいのだろう。
そして、これと同じように、今宵のような素晴らしい秋のいい日は滅多にない。あんなに辛い夏の日を過ごしてきたのだから、こんな日がもっとあってもいいのではないか。秋をもっともっと味わいたい。辛いだけでは生きていることにならない。人生は楽しむためにあるのだから。こうも言いたいのだろう。

コメント

  1. すいわ より:

    いよいよ七夕、恋焦がれてこの日を待っていたのにたった一日しか一緒にいられないなんて、そんなことってある?ーー分かりやすく恋の歌のようでいて、なるほど、待ち望んだ秋の日への気持ちも込められているのですね。誰もが「その通り!」と共感できます。

    • 山川 信一 より:

      この歌はここに置かれていなければ、込められた意味は察するのが難しいですね。歌集には文脈があり、それを辿って読む必要がありますね。

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