《悲しみの予感》

人のむまのはなむけにてよめる きのつらゆき

をしむからこひしきものをしらくものたちなむのちはなにここちせむ (371)

惜しむから恋しきものを白雲の立ちなむ後は何心地せむ

「人の送別の宴で詠んだ  紀貫之
惜しむ今から恋しいのに、白雲が立ってしまうだろう後はどんな心地がするのだろうか。」

「(惜しむ)から」は、格助詞で起点を表す。「(恋しき)ものを」は、接続助詞で逆接を表す。「白雲」は、「立ち」に掛かる枕詞。「(立ち)なむ」の「な」は、完了の助動詞「ぬ」の連用形。「む」は、未確定の助動詞「む」の連体形。「(心地)せむ」の「む」は、推量の助動詞「む」の連体形。
まだ別れたわけではない、別れを惜しんでいる今からあなたのことがこんなに恋しく思われます。それなのに、あなたは白雲が立つほど遠いところに旅立ってしまいます。そうなってしまったら、一体どんな気持ちがするでしょうか。それを思うと胸がいっぱいでたまらなくなります。
「白雲」によって、この場所と旅の目的地との隔たりを暗示している。また、助動詞「む」を二箇所使うことで、現在の気持ちと未来の気持ちとの違いを印象づけている。つまり、空間的・時間的な対比によって、別れの辛さ・悲しみを表しているのである。さすがに隙のない表現になっている。
ちなみに、「(恋しき)ものを」は、順接でもいいのだが、「それなのに、あなたは白雲が立つほど遠いところに旅立ってしまいます。」という思いを入れて、敢えて逆接で解してみた。

コメント

  1. まりりん より:

    前の歌のように栄転での送別でしょうか。
    別れを惜しみ、寂しい気持ちがしっかりと伝わってきます。しかし、少々大袈裟にも感じます。
    この 人 と作者は、どういう間柄なのでしょう。気を遣う相手だったのかもしれません。 

    貫之さんに、失礼なコメントしたかな…

    • 山川 信一 より:

      「栄転」による別れを取り敢えず惜しんでいる歌ではありません。なぜなら、「白雲」のように遠いところに行くのですから。また、今でも別れを惜しみ恋しいのに、別れたら「何心地せむ」と言っているのですから。ここまで言うからには、とても親しい関係であることが伝わって来ます。貫之に「失礼」と言うよりは、貫之は、わかってもらえなかったのかとがっかりしているかも知れませんね。

  2. すいわ より:

    「しらくも」がとても効果的。今現在、別れを惜しんでいる場面と発った後を(立つと掛かってますね)この一言できっぱりと分けて見せる。前の歌の「霞」と比べると目線は更に高く、見晴かすようになり、目的地の遠さを感じさせます。
    死者との惜別と取れなくもない。「ものを」を順接として真っ直ぐ取るとそんな歌に思えますが、ここで詞書が「むまのはなむけ」。目の前にいる今、こんなに「恋しい」とはっきり気持ちを言葉の形で示し、逆接で相手が旅立ち、姿が見えなくなった後は文字通り「筆舌に尽くしがたい」思いを「なにここちせむ」と、紀家の者をもってしても言葉の形で表せないと惜別の念の強さを印象付ける。貫之、只者ではありませんね。

    • 山川 信一 より:

      「白雲」が「霞」よりも目線が高いことから目的地の距離を感いると言うご指摘に納得しました。
      「恋しい」と「何心地せむ」を対立させていると見れば、やはり逆接になりますね。その方が説明としてはスマートですね。

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