《里帰り》

こしへまかりける人によみてつかはしける きのとしさた

かへるやまありとはきけとはるかすみたちわかれなはこひしかるへし (370)

帰る山ありとは聞けど春霞立別れなば恋しかるべし

「北陸地方へ下った人に詠んでやった  紀利貞
帰る山があるとは聞くけれど、春霞が立ち、別れてしまったならば、恋しいに違いない。」

「別れなば」の「な」は、完了の助動詞「ぬ」の未然形。「ば」は、接続助詞で仮定を表す。「べし」は、推量の助動詞「べし」の終止形。
春は、帰る山があるとは聞いていますが、春霞が立って春と別れることになったら、春が恋しくなるに違いありません。それと同様に、北陸地方に向かいますあなたにも帰る家が都にあるとは聞いておりますから、いずれお帰りになるでしょうが、しばしの別れとは言え、出発なさったら、さぞ寂しくなることでしょう。お名残惜しゅうございます。
詞書の「つかはしける」からすると、この「人」は女性だろう。帰る家があると言っていることから、夫に離縁されたわけではなさそうだ。春霞が立つ頃に、実家のある北陸地方に下る事情があったのだろう。そのしばしの別れを惜しんで詠んだ歌に違いない。様々な離別がある。そのバリエーションの一つである。

コメント

  1. まりりん より:

    夫とのしばしの別れを、再び必ずやってくる春との別れに例えている。限られた短い期間であっても、いつも側にいる人と離れるとなると、心配だし寂しいし、気持ちが落ち着かないです。家族が2泊3日の旅行に出かけただけでも、帰宅するまでやはりソワソワしてしまいます。身近にある、そういった 別れ を詠んでいるのですよね。前にも書きましたが、本当に色々な離別の形がありますね。

    • 山川 信一 より:

      この歌を詠んでいるのは、紀利貞ですから、「夫とのしばしの別れ」ではないでしょう。利貞とこの「人」との関係は定かではありませんが、この人は「妻」でもなさそうです。妹か姉か、近しい女性のようです。季節が巡ってくるように帰って来ることはわかっていても、別れは寂しいものですね。まりりんさんのご家族への思いに共感します。

  2. すいわ より:

    同じ人の詠んだ歌ですが、369番の歌と比べるとこちらの歌は別れの「寂しさ」が感じられます。前の歌が「公」この歌は「私」。
    しっかりとした後ろ盾となる人(かへるやま)が(越には)いるのだから心配はないでしょう、春霞に隔てられてもぼんやりと見える程度、そこまで遠くない土地。とは言え、寂しいことだなぁ。
    「春霞」、旅立ちの時季が春というのもあると思うのですが、絵画で霞や雲を描くことで場面展開、時間の経過を表すことを考えると、旅行で行くのでなく、それなりの時間を行った先で過ごすことが想像できます。
    夫の地方勤務先に同行したのでしょうか。その土地が彼女の実家のある場所だった。妹のような存在なのでしょうか。
    行った先へとこの歌を届けて気に掛けている事を伝える。都にもあなたの帰る場所はあるのですよ、と言っているようでもあります。

    • 山川 信一 より:

      「春霞」のたとえからは、別れの季節だけでなく、空間・時間など様々なことが暗示されている気がしてきました。作者とその人との関係、この歌に込めた真意を想像するだけで、物語が浮かんできます。和歌は、世界で最も短い物語です。『伊勢物語』の作者の気持ちがわかりますね。

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