第二百二十八段  釈迦念仏の起源

 千本の釈迦念仏は、文永の比、如輪上人、これを始められけり。

千本:京都市上京区北野天満宮の東北にある地。
釈迦念仏:遺教経を訓読みにして節を付け、終わりに釈迦の名を唱えたもの。
文永:1264年二月から1275年四月までの年号。
如輪上人:摂政内大臣藤原師家の子。

「千本の釈迦念仏は、文永の頃、如輪上人がこれをお始めになった。」

これも起源について蘊蓄を傾けている。今読むと、「だからどうなんだ」と言いたくなるけれど、敢えてこう言うだけの理由があったのだろう。ただし、今となっては、その理由は推測するしかない。たとえば、次のような理由はどうだろうか。釈迦念仏は訓読みなので、馴染みやすい一方、軽い感じがして侮られがちである。しかし、これは如輪上人と言う偉い方がお始めになったのだから、いい加減なものではない。由緒正しい念仏なのだ。だから、心して、唱えるべきであるという理由である。権威付けによるもので、いかにも兼好らしいと思うのだが。

コメント

  1. すいわ より:

    前回の仏教音楽の流れで「あぁ、そう言えば」と書き留めた体なのでしょうか。意味もなく書くとも思えず、でも、これだけでは何とも判断がつきません。
    念仏という、唱えれば誰でも浄土へ迎えられるという事が特権階級からしたら思わしくなく、軽んじられたことに異を唱えたものなのか?だとしたらこれを始めた人が相応の地位にある人だと示すことで非難をかわすことはできますね。

    • 山川 信一 より:

      この段も随筆の流れを意識したのでしょうか。メリハリを付けて、読み手を飽きさせないように。あるいは、人は気ままにいろんなことを思いつきます。その体をよそおっているのでしょうか。

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