《花すすきの侘しさ》

題しらす 平貞文

いまよりはうゑてたにみしはなすすきほにいつるあきはわひしかりけり (242) 

今よりは植えてだに見じ花すすき穂に出づる秋は侘しかりけり

「今からは庭に植えて見ることもしまい、花すすきを。穂が出て目立つようになる秋は侘しいことだなあ。」

「だに」は副助詞で最小限を表す。「見じ」の「じ」は打消意志の助動詞の終止形。「花すすき」は倒置になっている。下の句は、見まいと思う理由が述べられる。「穂に出づる秋は」は字余りだが、「に(ni)」と「出(i)」のイ音が重なるので許される。「侘しかりけり」の「けり」は、何かに気付いて詠嘆する気持ちを表す助動詞の終止形。
秋には薄を見ることが多い。だから、これからは庭にはせめて薄を植えることもしないようにしよう。なぜなら、薄の穂が出て目立つ花すすきを見ると、秋が一層侘しく感じられることに気が付いたから。
始めに理由無く唐突に強い言葉で「見まいと」決心を述べる。読み手に「なぜ?」という疑問を抱かせて、先を読ませる。まず、それが「花すすき」であることを示し、次にその理由を述べる。こうして、この歌は、読者の心理を読んだ構成になっている。
ススキは、秋には欠かせない植物である。たとえば、お月見に供える。すると、月が一層映え、秋を味わい深くしてくれる。しかし、それが穂が目立つようになると一転して、秋へのやるせない思いを抱かせる。「花すすき」とは、穂が目立つようになったススキのことで、白っぽく見える状態を言うのだろう。(正しくは、花ではなく実であるけれど。)それがやがて、枯れススキへと姿を変える。侘しく感じられるのは、その予感を持たせるからだろう。この歌は、そんなススキの一面を捉えている。

コメント

  1. すいわ より:

    秋を満喫する。月を仰ぎ見、豊穣を願いお供えをし、、。すすきは稲穂を見立てて飾りますが、稲は実るけれどすすきは時が経って穂先が開き始めると透かし見る月をもぼんやりと隠し、枯れ朽ちていってしまう。秋の閉じて行くのを目の前で実感したくない、あまりにも侘しい気持ちになるから。気持ちの窄む感覚を共有して胸の真ん中を冷たい秋風が通り過ぎて行くようです。

    • 山川 信一 より:

      お月見という農民の風習を貴族も取り入れます。そうなると、本来の豊穣への願いは忘れられて、ただただ秋を味わうためのものに変わっていったのでしょう。ススキは秋の象徴で、秋の移ろいをビジュアル化します。だから、花すすきは、秋の侘しさを感じさせます。目を逸らしたくもなるのでしょう。

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