第二百十三段  故実の融通性

 御前の火炉に火を置く時は、火箸してはさむ事なし。土器より、直ちに移すべし。されば、転び落ちぬやうに、心得て炭を積むべきなり。八幡の御幸に供奉の人、浄衣を着て、手にて炭をさされければ、ある有職の人、「白き物を着たる日は火箸をもちゐる、くるしからず」と申されけり。

「帝の前に置かれた火炉に火を入れる時は、火箸で炭を挟むことをしない。土器より、直接移すのがよい。だから、転び落ちないように、気をつけて炭を積むべきである。石清水八幡宮に院の御幸があった時に、お供の人が白い狩衣を着て、手で炭をおつぎになったので、ある故実家が『白い着物を着ている日は、火箸を用いるのは差し支えない。』と言われました。」

作法に故実がある場合には、それに従うべきである。一方、臨機応変に対処すべき場合もあるので、無闇にそれに従うべきではないという考えもある。しかし、すべて臨機応変に判断すべきかと言うとそうではない。作法をその場その場で一から考えたのでは、これはこれで、これまでの経験を生かない。やはり、まずは故実に従うべきである。しかも、故実には、例外もちゃんと盛り込まれているのである。学び従う価値があるのである。
兼好は、この話を通して、故実には、経験を踏まえた融通性があることを言いたいのだろう。故実の持つ合理性を説いている。一理ある。

コメント

  1. すいわ より:

    「経験を踏まえた融通性」、なるほど、一番望ましい形まで精錬し辿り着いた所に作法がある、という事ですね。そうするにはそうするなりの訳がある。ただし、人の作った決まりだから必ずしも完璧という訳でもない。時に例外も生じてくる。それを柔軟に受け止めてより理想的な形を保つ。先人の知恵は万全ではないかもしれませんが、利用する価値は高い。形式美は創作を否定するものではないですよね。言葉の作法と捉えて和歌を思い浮かべると分かりやすかったです。

    • 山川 信一 より:

      なるほど、和歌の形式・技法に通じることがありますね。自由というのは、意外に窮屈なものです。形式の持つ知恵を生かすべきですね。

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