第百六十五段  鳥なき里の蝙蝠

 吾妻の人の都の人に交り、都の人の吾妻に行きて身をたて、又、本寺本山を離れぬる顕密の僧、すべて我が俗にあらずして人に交れる、見ぐるし。

顕密:真言宗(密教)と他宗(顕教)。

「東国の人が都の人に交るとか、都の人が東国に行きて立身するとか、また、本寺本山を離れてしまう顕密の僧とか、すべて自らが属する集団の習慣から離れて、人に交わっているのは、見苦しい。」

なぜ兼好はこれを「見ぐるし」と批判しているのか。恐らく、そこに利害が絡んでいるからだろう。しかも、実力ではなく、珍しさを売りにしているからだ。「鳥なき里の蝙蝠」(すぐれた者や強い者のいない所で、つまらない者がいばることのたとえ。)と言うところの「蝙蝠」に近い。珍しさに頼らず、己の本来の道で地道に自分を磨くべきだと言たいのだろう。これは、老荘思想の「小国寡民」に近い考え方である。
ただ、「見ぐるし」とだけ言って、その理由を述べていない。兼好らしい語り口である。兼好の批判に対しては、いくらでも反論できる。たとえば、文化の交流のきっかけになるとか、他文化へのいざないになるとか・・・。したがって、この物言いは無責任である。感情に対しては誰も何も言えない。反論を巧みに封じようとしたのだろう。

コメント

  1. すいわ より:

    「吾妻の人の都の人に交り」、都の気風に田舎の慣習を持ち込ませたくない?
    「都の人の吾妻に行きて身をたて」、金に目が眩んで古来の良いものを捨てるのか?ーーこんな感覚で「見苦し」と言ったのでしょうか。余程嫌な目にあったのか、容赦のない言い切った形での文、、ただ、先生も仰る通り、あまりにも一方的で一側面しかとらえていない書き方ですね。具体例が示されていないので、「はい、そうですね」と納得は出来ません。

    • 山川 信一 より:

      私は嘗て「走れる国語教師」でした。しかし、そこには甘えがありました。競技者の時には自分は国語教師だからと甘え、国語教師の時には自分は競技者でもあるのだと甘えていました。この段を読んでそんな自分を思い出しました。私に向かって言われたような気がしたのです。兼好に痛いところを突かれました。さぞ「見ぐるし」かったことでしょう。

      • すいわ より:

        ご自身の中で葛藤のある人を兼好は見ぐるしとは言わないと思います。誰もがその一人の人間の中で幾つもの役割を果たしています。私は「走る」先生を知らないけれど、きっと走る経験をしていなかったら今ここにいる「教師」としての先生は存在していなかったのではないでしょうか?同様に教師としての先生だからこそ走り続けて来られたのではないでしょうか。逃げる口実にしていたとしたら、それぞれが蔑ろになってどちらも続いていなかったのでは?現にこの「国語教室」が始まって三年が経っております。「見ぐるし」いことばかりではない証明です。生徒のためにも「国語教師です」と堂々胸を張っていて下さいませ。

        • 山川 信一 より:

          励ましのお言葉、ありがとうございます。私は自己肯定感の低い人間です。だから、他者からの評価も低い。他者の評価は、その人の自己評価を当てにするからです。しかし、すいわさんは、ご自身の考えでなされています。論語に次のようにあります。「衆之を悪むも必ず察し、衆之を好むも必ず察す。」(必ず自分で確かめる。世評だけで判断しない。)これに通じています。素晴らしい。

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