第二百二十三段  幼名の由来

 たづの大臣殿(おほいどの)は、童名(わらはな)たづ君なり。鶴を飼ひ給ひけるゆゑにと申すは僻事なり。

たづの大臣殿:内大臣藤原基家。1280年没。『続古今和歌集』の撰者の一人。

「たづの大臣殿は、幼名がたづ君である。鶴をお飼いになっていたからだと言うのは誤りである。」

兼好の、名の由来への拘りである。世に語り伝わることが如何にいい加減であるかを言う。誰しもが好き勝手なことを言い、時にそれが定着してしまう。その一例として挙げている。鶴を飼っていたとなると、基家のイメージが大分変わってしまう。「僻事」と強く否定しているのは、兼好はそれに我慢がならなかったからだろう。ちなみに、「たづ」は鶴の歌語である。鶴の長命にあやかるように付けた名であろうが、「つる」ではなく「たづ」としたところに、基家の家庭環境が想像される。

コメント

  1. すいわ より:

    兼好の強いこだわり、根拠のない事が罷り通るのが嫌なのはわかるのですが、誤りだと強い調子で否定をするのなら、本来の意味を聞きたい。本当はこう言った事情でこう名付けられた、と聞けば納得もできるのですが、この片手落ちの主張、どう受け取ったものでしょう。

    • 山川 信一 より:

      確かに、半知半解の感がありますね。私は勝手に、縁起のよい名だからではないかと推測しましたが、本当の理由はわかりません。兼好も知らなかったのでしょう。「たづ」で他に思いつくのは、蓼の異名くらいです。人の名前ですから、「蓼」よりは「鶴」でしょう。人々が鶴を飼っているからだと思ったことにも理由がありますね。どんな理由からでしょう。いずれにしてもよくわからない話題です。

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