《花の影》

寛平御時きさいの宮のうたあはせのうた 藤原おきかせ

はるかすみいろのちくさにみえつるはたなひくやまのはなのかけかも (102)

春霞色の千種に見えつるは棚引く山の花の影かも

「春霞の色が様々に見えたのは、霞が棚引く山にある桜の花が霞に映った影かなあ。」

「見えつる」の「つる」は、意志的完了で終わりを示す助動詞「つ」の連体形。ついさっき見えたのである。そして、次の瞬間には見えなくなってしまったことを表している。「かも」は、終助詞で、詠嘆を込めた疑問文をつくる。「・・・かなあ」
一瞬、春霞が様々なピンク色に見えた。その訳を次のように想像する。春霞が山に棚引いている。そのため、そこに咲く桜は見えない。しかし、春の今は様々な色をした桜が咲いているはずだ。ならば、春霞が様々な色に見えたのは、山に咲いている様々な桜の花の色が霞に映った影なのだろうか。この歌は、その発見への疑問を含んだ感動を表している。
春霞は決して白ではないのだ。作者は、その微妙な色の変化を見逃さない。そこに発見がある。作者の豊かな感性の表れである。歌合の歌であるから、この発見を誇示してもいる。ただし、受け入れてもらいやすく「かも」という疑問を含む形にしている。

コメント

  1. すいわ より:

    「つる」だけでほんの一瞬の変化を表現しているのですね。そして「かも」の疑問文ではっきりとは決めつけない。本当に桜の色を映したわけではないのでしょうけれど、心の桜が霞をほのかに染めてみせる。何種類もの僅かに違う色をした桜の色がチラチラとしたムーブメントとなって心にも漣を立たせ、幻の風景に誘われます。見えない桜を思わずにはいられません。

    • 山川 信一 より:

      ほんの一瞬様々な色に春霞が染まる、それを見逃さない感性の何という鋭さ。
      その様子が目に浮かんできますね。詩人は世界を違って見せてくれます。

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