《理屈は本音ではない》

題しらす   よみ人しらす

まてといふにちらてしとまるものならはなにをさくらにおもひまさまし (70)

待てと言ふに散らでし止まるものならば何を桜に思ひまさまし

散らでし:「し」は、強意の副助詞。
おもひまさ:思いが勝る。もっとよいと思う。

「散るのは待てと言うのに答えて、桜が散らないで枝に止まっているものならば、どうして桜にこれほど恋しい思いを募らせるようか。」

桜の唯一欠点は、満開になったと思うと直ぐに散ってしまうことだ。しかし、桜は散るからこそ思いが増すのではないか。実はその欠点ゆえに桜をこれほど愛しているのだ。このように言う。
しかし、これは自分を納得させるための理屈である。無理矢理こう思いこもとしているのだ。そうとでも思わなければ、散るのが残念でならないからだ。
この歌は、こんな理屈をつけなければならないほど、桜が散るのを残念でならない気持ちを表している。

コメント

  1. すいわ より:

    ありますね、諦めきれない事や口惜しい事を敢えて言葉に出して自分の声を耳から聞いて自分に言い聞かせる事。到底納得など出来ない、頭でわかっても気持ちの落とし所がどうにもならない時にそうしますが、これを歌で見せられると、なんとも細やかに心の形を丁寧に表していて「言葉」に力を感じさせられます。現代人も見習わないと。

    • 山川 信一 より:

      自分を納得させるために作り出した屁理屈がいつの間にやら常識になっていたりします。
      「儚いからこそいっそう愛しいのだ」もそれですね。何となくそういうものだと思っています。なるほど、理屈ではそうなんですが・・・。

  2. らん より:

    思い通りにならないからこそ、一層惹かれるのでしょうね。
    魅惑的な女性みたいですね。

    • 山川 信一 より:

      なるほど、桜は思い通りにならない女性に似ていますね。
      そんな時には、負け惜しみを言って自分を慰めるしかありません。

タイトルとURLをコピーしました