第六十段  変人の高僧

 この僧都、ある法師を見て、しろうるりといふ名をつけたりけり。「とは、何物ぞ」と、人の問ひければ、「さる物を我も知らず。若しあらましかば、この僧の顔に似てん」とぞ言ひける。
 この僧都、みめよく、力強く、大食にて、能書・学匠、弁説人にすぐれて、宗の法灯なれば、寺中にも重く思はれたりけれども、世をかろく思ひたる曲者にて、よろづ自由にして、大方人に従ふといふ事なし。出仕して饗膳などにつく時も、皆人の前据ゑわたすを待たず、我が前に据ゑぬれば、やがてひとりうち食ひて、帰りたければ、ひとりつい立ちて行きけり。斎・非時も人にひとしく定めて食はず、我が食ひたき時、夜中にも暁にも食ひて、ねぶたければ昼もかけこもりて、いかなる大事あれども、人の言ふ事聞き入れず、目覚めぬれば幾夜も寝ねず、心を澄ましてうそぶきありきなど、尋常ならぬさまなれども、人に厭はれず、よろづ許されけり。徳のいたれりけるにや。

僧都:僧官の一つ。僧正に次ぐ位。
宗の法灯:この宗の中での高徳の僧。
斎・非時:(とき・ひじ)「斎」僧が正午以前にする食事。「非時」正午以後にする食事。

「この僧都は、ある法師を見て、しろうるりといふあだ名をつけていた。『とは、どんな物ですか。』と、人が尋ねたところ、『そういう物を我も知らない。もしあったならば、この僧の顔に似ているだろう。』と言った。
 この僧都は、顔立ちがよく、力が強く、大食いで、字が上手で、学問があり、弁説が人より優れて、この宗の中での高徳の僧なので、仁和寺の中でも重んじられていたけれども、世の中を軽く思っている変わり者であって、万事勝手気ままで、いっこうに人に従うということない。法事に出てご馳走の膳などにつく時も、全員の前に膳を据え終わるのを待たず、自分の前に据えてしまうと、すぐに一人食べて、帰りたければ、一人さっとと立って行った。斎・非時も人と同じように決めて食わず、自分が食いたい時は、夜中でも明け方でも食って、眠たければ昼も閉じ籠もって、どんなに大事あっても、人の言う事を聞き入れず、目が覚めてしまうと幾夜も寝ず、心を澄まして詩歌などを吟じて歩き回るなど、普通ではない様子であるけれど、人に嫌われず、万事許された。徳が極まっていたからであろうか。」

まさに好き勝手し放題の生き方である。誰しもこんな風に生きられたらいいと思うだろう。けれども、そうしないのは、あるいは、そうできなのは、世間が許さないからである。ところが、この僧は許されていた。容姿端麗で、欠点が無く、徳もこの上もなく高いレベルに達していたからだ。
では、筆者はなぜこんなことを言うのか。普通と違うことが許されるのは、このレベルの人間だけであり、凡人はそれを真似してはならないと言いたいからだ。法師の中には、自分を省みず、勝手気ままな振る舞いをしている者がいた。その者たちを、もしそうしたいのなら、このレベルに達してからにしろと戒めているのだ。
「しろうるり」というあだ名は興味深い。まさに命名の原点である。何かに似ているからそれにたとえたのではない。概念の音的翻訳であり、自分で名前を生み出している。究極の言葉遣いである。その僧の色白で油っぽくのっぺりとした顔が浮かんでくる。

コメント

  1. すいわ より:

    凡人は常識の中で生きる、非凡なものはそれ自身が唯一無二だからこそ自立出来る、ということでしょうか。常識は移ろうもの、揺るがない個を確立できないのであれば流れに従わざるを得ない。なるほど、この僧は抗っているわけではないのですよね。
    「よろづ許されけり。徳のいたれりけるにや。」どんな風に徳が極められていたかについては語られていません。詰まるところ、極め切れる人など無いのだから、傍若無人な振る舞いは許されるものではない、僧を名乗るなら励め、ということなのでしょうね。

    • 山川 信一 より:

      この段も誰になぜ書いたかを考えると、こうなります。法師よ、励めと。
      では、これを一般化して、天才と凡人のケースに当てはめることはできるでしょうか?一般化は難しそうです。天才だって、いくらでも許せない嫌なヤツはいます。
      ところが、この僧都のように傍若無人に振る舞っても憎めない希なる人物がいます。その理由は何でしょうか?
      この僧都の場合は、傍若無人がむしろ欠点として働いているのでしょう。欠点があれば、受け入れられます。人間は、常に優越感と劣等感に縛られているので。

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