第二十三段  宮中讃美

 おとろへたる末の世とはいへど、なほ九重の神さびたる有様こそ、世づかずめでたきものなれ、露台・朝餉・何殿・何門などは、いみじとも聞ゆべし、あやしの所にもありぬべき小蔀・小板敷・高遣戸なども、めでたくこそ聞ゆれ、「陣に夜の設せよ」といふこそいみじけれ、夜の御殿をば、「かいともしとうよ」などいふ、又めでたし。上卿の、陣にて事おこなへるさまは更なり、諸司の下人どもの、したり顔に馴れたるもをかし。さばかり寒き夜もすがら、ここかしこに眠り居たるこそをかしけれ、「内侍所の御鈴の音は、めでたく優なるものなり」とぞ、徳大寺太政大臣は仰せられける。

神さび(たる):神々しい様子。古色を帯びて神秘的な様子。
九重:宮中。
世づか(ず):世俗に染まる。
めでたく:立派だ。素晴らしい。優れている。
露台:紫宸殿と仁寿殿との間にある板敷きの所。
朝餉:天皇がお食事される部屋。
小蔀:(こじとみ)格子付きの小部屋。
小板敷:清涼殿の殿上の間の南側にある板敷き。
高遣戸:高いところにある引き戸。
陣:警備の詰め所。
夜の御殿:天皇の寝室。
かいともしとうよ:「掻き灯し疾くよ」の意。
上卿:(しゃうけい)宮中で公事を行う時、大臣・大納言・中納言の中から臨時に長として選ばれた者。
諸司の下人:(しょし・しもうど)宮中の多くの役所の下役人。
したり顔:得意顔。上手くやったという様子。
内侍所:宮中の温明殿にあって、神鏡を安置する所。
徳大寺太政大臣:藤原公孝。

「衰えている末世とは言うけれど、やはり宮中の古色を帯びて神々しい有様こそは、世俗に染まらず立派なものであるが、露台・朝餉・何殿・何門などは、その名を聞いただけで素晴らしいとも聞こえるに違いない。身分の卑しい者の家にも恐らくあるはずの小蔀・小板敷・高遣戸なども、宮中のは立派に聞こえるが、陣で『陣に夜の設せよ(燈火の用意をしろ)』と言うのは素晴らしいが、天皇の寝室の場合は、「かいともしとうよ」など言うのは、また素晴らしい。上卿が陣であれこれ指図する様子は言うまでもない。宮中の多くの役所の下役人が得意顔で仕事になれて行動するのも心惹かれる。あれほど寒い一晩中、あちらこちらで居眠りしているのも愉快だ。『内侍所の神楽の鈴立派立派で優雅なものである。』と徳大寺の太政大臣がおっしゃったそうだ。」

これを読むと、兼好法師がいかに宮中の内情に詳しいかがわかる。皇室に強い関心と尊敬の念を抱いていたのだろう。見た目だけでなく、名称や言葉遣い、役人の仕事ぶり(居眠りをするのさえ)、果ては鈴の音まで賞賛している。その理由は、宮中こそがいにしえの伝統を今も大事にしているからだろう。そう思えば、兼好の趣味はどこまでも一貫している。古いものはよいものであり、これを大事に守り抜くことが望ましいと頑なに信じているのである。
それにしても、よくもまあこれほど具体的に詳しく宮中の内実を知っているのだろう。まさかそれをひけらかすために書いた訳ではあるまい。

コメント

  1. すいわ より:

    今その場で見ている事を記述しているかのようですね。それ程までに昔の言葉遣い、風俗などを愛しているのですね。でも、良いところしか見ていない。貴族社会の閉塞、醜い権力争い、駒に使われる姫君、、取り澄ました顔の裏で様々な欲望の闇が渦巻く、と書いたら魑魅魍魎の棲家になる。愛するものの汚いところは見たくないのか、見ようとしないのか。良きものを守り伝える事は大切だけれど、その良きものもより洗練を繰り返した果ての新しいものだったりする、はずです。固まった思考では視野も狭まると思うのですが。

    • 山川 信一 より:

      確かに『徒然草』は多角的な深い考察に乏しいですね。昔のことも、自分に都合のいい一面しか見ようとしていません。
      だから、ふと兼好は何を目的として『徒然草』を書いたのかと思うのです。すると、古典文学へのいざないという考えが生まれます。
      この段など、いかにもそれにふさわしい気がしてきます。

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