心やりの歌

十八日、なほおなじところにあり。うみあらければふねいださず。このとまりとほくみれどもちかくみれどもいとおもしろし。かゝれどもくるしければなにごともおもほえず。をとこどちはこころやりにやあらむ、からうたなどいふべし。ふねもいださでいたづらなればある人のよめる、
「いそぶりのよするいそにはとしつきをいつともわかぬゆきのみぞふる」
このうたはつねにせぬひとのことなり。またひとのよめる、
「かぜによるなみのいそにはうぐひすもはるもえしらぬはなのみぞさく」。
このうたどもをすこしよろしとききて、ふねのをさしけるおきな、つきごろのくるしきこころやりによめる、
「たつなみをゆきかはなかとふくかぜぞよせつゝひとをはかるべらなる」。
このうたどもをひとのなにかといふを、あるひとのまたききふけりてよめる。そのうたよめるもじみそひともじあまりななもじ、ひとみなえあらでわらふやうなり。うたぬしいとけしきあしくてえず。まねべどもえまねばず。かけりともえよみあへがたかるべし。けふだにいひがたし。ましてのちにはいかならむ。

問1「かゝれどもくるしければなにごともおもほえず。」とは、どういうことを言っているのか、答えなさい。
問2 ここでの歌を巡る話からどのようなことがわかるか、答えなさい。

この日も海が荒れて出航できない。この港は、遠くから眺めてもでも近くから眺めても、目を惹かれるほど美しい。しかし、じっとしているのが苦しくて、風光明媚な湊を見ても歌を作りたいとも思えない。(問1)
男同士気晴らしに唐歌を歌っているようだ。そんな中、船も出さないで空しいので、ある人が詠んだ「荒波が打ち寄せる磯には年や月の移り変わりをいつだとも区別しない雪ばかりが降る。」この歌は、常には歌を詠まない人の言葉だ。やはり、気晴らしには和歌の方が適しているのだろう。
またある人が詠んだ、「風による浪が打ち寄せる磯には鶯も春も知ることのできない花が咲くばかりだ。この二つの歌をなかなかいいと聞いて、船長をしている老人(=旧国司)がこの数ヶ月の苦しい心を晴らそうと詠んだ、「立つ浪を雪か花かと思わせて、吹く風が寄せては人を欺しているようだ。」
この歌などを人があれこれ批評するのをある人がじっと聞き入って詠んだ。その歌が読んだ文字は、三十七文字で、聞いた人は皆こらえきれずに笑うようである。その歌を歌った人はたいそう機嫌が悪くなり、恨み言を言う。しかし、これではまねようにもまねられない。書いたとしても終いまで読み終えることができそうにない。今日でさえ言うのが難しい。まして、どうなることやら。
三つの歌が出てくる。最初の歌は、「ふる」に「降る」と「古る」を掛けている。二番目の歌と同様、発想としては類型的でやや新鮮味に欠ける。さらに、三番目の歌は、単に理屈を述べただけである。しかし、いずれも苦しき胸の内を表すには、むしろその方がよかったのだ。歌は、心を詠むものである。表現はそのための道具だ。ここではありきたりの表現がその時の停滞した心「くるしければなにごともおもほえず」をよく表している。人々は、「こころやり」として歌を詠んでいるのだ。歌には、気晴らしの働きもある。
歌はいかに心を表すか、常に工夫が必要である。しかし、それにはルールが要る。三十一文字の定型は崩すべきではない。それをすると、歌であることがわからなくなってしまう。ここには、貫之の歌に対する考えが述べられている。(問2)

コメント

  1. すいわ より:

    貴族の男性としては和歌は当然嗜み、その上で漢詩を更に学ぶのだと思っていたので、あまり普段、和歌を読まないとしても三十七文字で詠むなんて事する人がいるとは思いませんでした。船の長しける翁が旧国司だとは思いませんでした。船君と呼ばれたり、その時々で呼び名が変わるのは何故なのでしょう?

    • 山川 信一 より:

      じっと聞いていた人は、和歌の改良を企んでいたのでしょう。それで敢えて大胆な試みをしたのです。しかし、それはあまりに無謀な試みでした。貫之は、改良として、していいこととしてはならないことがあると言いたいのでしょう。
      意味としては、「船君」も「船の長」も同じです。旧国司がいろいろな名前で呼ばれるのは、その存在、つまり、貫之の存在をぼかすためです。「船君」と「船の長」が別の人と思われてもかまわないとさえ思っています。
      恐らく、『土佐日記』の歌は、童の歌を含めてすべて貫之の創作でしょう。だから、歌の作り手が誰であるかへのこだわりはあまりありません。

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