昔、男、「かくては死ぬべし」といひやりたりければ、女、
白露は消なば消ななむ消えずとて玉にぬくべき人もあらじを
といへりければ、いとなめしと思ひけれど、心ざしはいやまさりけり。
昔、男が、「このままでは(あなたが恋しいあまりに)死んでしまいます。」と言ってやったところ、女が
〈白露は消えてしまうなら消えてしまってほしい。(「ななむ」の「な」は完了の助動詞〈ぬ〉の未然形。「なむ」は願望の終助詞。)消えないからと言っても、玉だと思って紐に通すはずの人もないでしょうから。(このまま死ぬとおっしゃるなら、どうぞご自由にお死にあそばせ。)〉
と言ったので、たいそう無礼だ(「なめし」)と思ったけれど、この女をものにしようという思い(「こころざし」)はますます増したのだ。
男は、女を口説く時、「このままでは、死んでしまう。」と言うことがある。じぶんがどれほど恋に苦しんでいるかを訴えて、女の同情を買おうとするためである。しかし、モテる女には通用しない。こんな言葉は言われ慣れている。いちいち本気にして相手にしていたらきりが無いので、こういう男は冷たく突き放すに限ると思っている。一方、それでも諦めないかどうかを試している面もある。
すると、案の定、この男はますます女への思いを募らせることになった。恋は駆け引きである。
コメント
厄介な人ですね。「玉にぬくべき・・」は「あなたに心(魂)奪われる人なんていないでしょ?」とも取れて、女の言いようもなかなか手痛い。強い反応を示せばその反動でまた、より惹かれる。好きの反対は嫌い、でなく「無関心」と言いますけれど、なるほど「嫌い」という感情が動いているあたり、相手を見ている事になりますね。その僅かな可能性を男は逃さない。逃げる女、追う男。まるで狩のようです。「死ぬ程辛い」とは言っても「死んでしまう」とは女は言わないですね。この微妙なずれがドラマを生むのですね。
「玉だと思って紐を通す」とは、結局「あなたに心(魂)奪われる」と言うことですね。女は「死ぬ程辛い」とは言っても、「死んでしまう」とは言わないのですか。
確かに、女の方が正直なのでしょう。「梓弓」の女は、「我が身は今ぞ消え果てぬめる」と言って、本当に死んでしまいました。