第百三段 ~歌のたしなみ~ 

 昔、男ありけり。いとまめにじちようにて、あだなる心なかりけり。深草の帝になむ仕うまつりける。心あやまりやしたりけむ、親王たちのつかひたまひける人をあひいへりけり。さて、
 寝ぬる夜の夢をはかなみまどろめばいやはかなにもなりまさるかな
となむよみてやりける。さる歌のきたなげさよ。


 昔、男がいた。たいそう真面目で実直(「じちよう(実用)」)で、浮ついた(「あだなる」)心がなかった。深草の帝(仁名天皇)にお仕えしていた。心がまともに働くなってしまったのだろうか、親王たちが召し使っていた人を口説いて深い仲になった。さて、
〈あなたと寝た夜の夢があまりに頼りなくて(「はかなくて」)、もう一度はっきり見たいとまどろむと、ますます夢はぼんやりして空しい気持ちに(「はかなく」)なってきます。〉
と詠んで贈ったのだ。その歌の汚らしいこととよ。
 真面目で実直だった男が恋に落ち、舞い上がってしまった。こうなると、真面目な者ほど恋に免疫がない分、歯止めが利かなくなる。心は乱れに乱れてしまう。それまで恋に無縁だったので、歌の素養も無い。これは後朝の歌であるが、どんな風に詠んでいいのかわからない。歌は、露骨な表現を避けるべきなのだ。事柄や思いをそのまま表現すればいいというものではない。話し手はそれを批判している。恋には作法がある。まず歌を学べよ。こう言いたいのだ。
 ただし、この歌は『古今和歌集』恋三に業平の歌として載っている。詞書きに「人に逢ひて朝によみてつかわしける」とある。『伊勢物語』はよりふさわしい状況設定にしたのだろう。

コメント

  1. すいわ より:

    まずは歌を学べ、伝え方をね、と。確かに下手な歌では振られるかもしれませんね。それでも、人生の中で人を恋うることを知らずに終わらなかったのは、良いことなのでしょう。失敗知らず、自分の価値観の中でしか生きられないより、多少傷ついても、未知の世界へ踏み込んだ方が世界はより一層輝いて見えるはず。旅の準備が出来ていないまま、出発してしまった、そこから学べればいいですね。

    • 山川 信一 より:

      『伊勢物語』の語り手は、殊、歌には厳しい人ですね。本当に容赦無しです。でも、この歌だって『古今和歌集』にとられているんですから、名歌のはずです。
      こんなことが言えるのは、貫之以外に考えられません。「在原業平は、そのこころあまりてことばたらず」(仮名序)ということなのでしょう。
      恋にいつ落ちるかはわかりません。そう言われても困りますよね。

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