だから気をつけろ。ルロイ先生はいい人にはちがいないが、心の底では日本人を憎んでいる。いつかは爆発するぞ。・・・・・・しかし、ルロイ先生はいつまでたっても優しかった。そればかりかルロイ先生は、戦勝国の白人であるにもかかわらず敗戦国の子供のために、泥だらけになって野菜を作り鶏を育てている。これはどういうことだろう。
「ここの子供をちゃんと育ててから、アメリカのサーカスに売るんだ。だから、こんなに親切なんだぞ。あとでどっと元をとる気なんだ。」といううわさも立ったが、すぐ立ち消えになった。おひたしや汁の実になった野菜がわたしたちの口に入るところを、あんなにうれしそうに眺めているルロイ先生を、ほんの少しでも疑っては罰が当たる。みんながそう思い始めたからである。
「園児たちは、ルロイ修道士のいい人ぶりが自分たちの常識を超えているので、疑ったのね。あんなにひどいことされたことを恨まないはずがないって。」
「「戦勝国の白人」という言い方が気になるわ。これは、当時一番威張っていた人たちなのね。一番自分たちからかけ離れている人たち。それが少しも威張らない。」
「この間、英語の時間にこんな文を習ったんだ。There is much difference between imitating a good man and counterfeiting him. Benjamin Franklin(よい人をまねるのと、よい人といつわるのでは、大きな違いがある。)世の中には、二つのタイプの人がいる。つまり、「まねる人」と「いつわる人」なんだ。ルロイ修道士は、もちろん「まねる人」だったんだよ。」
「よい人をまねているうちに本当によい人になっていったんだ。」
「園児たちは、初めは「いつわる人」だと疑っていた。それが段々そうじゃないってわかってきた。」
「ルロイ修道士は、正真正銘いい人だったってことがね。」
「言葉でも何とでも言えるけど、行動はそうはいかない。Easier said than done.(言うは易く、行うは難し。)と言うからね。行動こそがその人の主体を明らかにする。園児たちはそれを学んだんだよ。人間を見る目を養ったんだ。」
「なにしろ、ルロイ修道士は、「泥だらけになって野菜を作り鶏を育てている おひたしや汁の実になった野菜がわたしたちの口に入るところを、あんなにうれしそうに眺めている」んだから。どう見てもフリじゃない。」
人間は、行動をみなくちゃいけないね。つまり、その人が何を喜ぶか、何に時間を掛けているかを。これは自分についてもね。
コメント
戦勝国の白人と敗戦国の子供。子供達から見たらルロイ修道士は自分たちと対極の強い立場にある。「心の底では日本人を憎んでいる。いつかは爆発するぞ」ーー裏返せば、「父母を奪った憎い敵!」と自分たちは恨みに思っているのだから当然相手も酷いことされて自分達同様、恨みに思うに違いない、と考えた訳ですね。そしていい意味で子供たちの憶測は裏切られる。汗水流して手にした貴重な食料を子供たちに与え喜ぶ姿は父母のそれと変わらぬものと悟ったのでしょう。ルロイ修道士は「敵の白人」でなく、他の誰でもない「ルロイ修道士」という善良な一個人なのだと。例えば朝起きてルロイ修道士が黒髪、黄色い肌、細目になっていたとしても、子供たちはきっと間違えることなく彼を見つけ出すことでしょう。
ルロイ修道士は、個人として生きることの大切さを教えたのでしょう。「戦勝国の白人」という括りで人を見てはいけないと。