第二十段 自然の移り変わりへの執着

なにがしとかや言ひし世捨人の、「この世のほだし持たらぬ身に、ただ空の名残のみぞ惜しき」と言ひしこそ、誠にさも覚えぬべけれ。

なにがしとかや言ひし:何とかとか言った。「か」は疑問の係助詞。「や」は間投助詞。「し」は経験を表す助動詞「き」の連体形
ほだし:心を惹き付けて束縛するもの。
空の名残:何かがあった後の空の様子。

「何とかと言った世捨て人が『この世の束縛を持っていない身に、ただ空の名残だけが愛しく捨て難いことだ。』と言ったことこそ、誠に自然にそうも思われるに違いなさそうだが・・・。」

「空の名残」が漠然としていてわかりにくい。前段で四季について述べているので、四季折々の空の変化を言うのだろう。なるほど、空は自然の移り変わりをそれを反映する。その様子は味わい深い。したがって、それを愛する心を捨て去ることは難しい。何事にも執着しないことをよしとしても、この執着は仕方がないことだ。
世捨て人の言葉を引用している。誰かを介して自己の考えを述べる、その姿勢は兼好らしい。「言ひし」と二度言っている。兼好が直接会った人であることを強調している。こういう人物が自分の身近にいることを示したいのだろう。

コメント

  1. すいわ より:

    「言ひし」が二度、隙のない文を書く人が、くどいなぁと思ったら、成程そう書く事でそれを言った人に意識が向きます。こう言いそうな世捨て人、あぁ、あの人だろうと察しがつくのでしょうね。あの人はあんな人と交流があるのか、と匂わせるとは。
    空そのものの移り変わりはもちろん、それを見上げる各々の心象の違いの数だけ「空」は存在する。自分から自分を切り離せない以上、「愛する心を捨て去ることは難しい」ですよね。

    • 山川 信一 より:

      人は、何かにつけて空を眺めます。そこには人を惹き付けて止まない何かがあるのでしょう。
      世捨人といえども、それへの愛惜から逃れることはできないのも、納得できます。

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