題しらす とものり
うきなからけぬるあわともなりななむなかれてとたにたのまれぬみは (827)
浮きながら消ぬる泡ともなりななむ流れてとだに頼まれぬ身は
「題知らず 友則
浮きながら消えてしまう泡ともなってしまいたい。流れてさえも当てにされぬこの身は。」
「うきながら」の「うき」は、「浮き」と「憂き」の掛詞。「ながら」は、接続助詞で「そのまま」の意を表す。「(消)ぬる」は、助動詞「ぬ」の連体形で完了を表す。「(なり)ななむ」の「な」は、助動詞「ぬ」の未然形で完了を表す。「なむ」は、終助詞で願望を表す。「なかれて」は、「流れて」と「泣かれて」の掛詞。「(泣か)れて」の「れ」は、助動詞「る」の連用形で自発を表す。「とだに」の「と」は、格助詞で引用を表す。「だに」は、副助詞で最小限を表す。「(頼ま)れぬ」の「れ」は、助動詞「る」の未然形で受身を表す。「ぬ」は、助動詞「ず」の連体形で打消を表す。
私の身は浮いたまま消えてしまう泡とでもなってほしいなあ。つらいままで生き長らえて自然に涙が流れてしまう。せめてその姿があの人の心を揺さぶりあの人の信頼を取り戻してもよさそうなのにそうはならない。まして、どんなことをしても信頼されないこの身なのだから。
作者は、我が身が生きているだけで何の価値もないと、修復不可能な夫婦仲を嘆いている。
川からの連想で水に浮く「泡」を題材にした歌を載せる。夫は妻からの信頼を失って、もはや何をしても修復の不可能な夫婦関係にある。ここに到る惨憺たる修羅場が想像される。その時、夫はなすすべがなく、自分が消えるしかないと願うしかなくなる。これも夫婦が行き着く様の一つである。このように、男女関係に於ける嘆きの対象は、相手、時間などを経て、最後には自分へと戻ってくる。この歌は、川の泡のイメージが生かされている。「だに」が利いていて、せめて泣くことで相手の心を動かせればいいのに、それも叶わないことを表している。上の句と下の句が倒置の関係になっていて、読み手の興味を惹いている。編集者は、内容を生かすこうした効果的な表現を評価したのだろう。
コメント
792番「水のあわのきえてうき身といひなからなかれて猶もたのまるるかな」の友則の歌はまだ未練があり「消えない泡」だったのに、いよいよ「消えてしまう泡」になってしまいたい所まで来たのですね。泣こうと何をしようとこちらへ意識を向けてもらえない。友則、優しすぎるのでしょうね。この恋に立ち止まっている間に相手は流れ流れて遥か彼方に行ってしまっている。振り返りもせず。それでも心が残っているから苦しみから解放されるべく泡のように消えてくれれば良い、と。お気の毒。
なるほど792番の歌の続きとして読めますね。友則もそれを意識して作ったのでしょう。年をとってからの別れなのかも知れません。友則はきっと誰にでも優しい人なのでしょう。しかし、この優しさが女にとっては曲者。時に、両刃の剣ともなります。女は自分にだけ優しいことを求めますから。友則は寂しい晩年を過ごしたのでしょうね。