第百七十三段  小野小町の伝聞

 小野小町が事、きはめてさだかならず。衰へたるさまは、玉造と言ふ文に見えたり。この文、清行が書けりといふ説あれど、高野大師の御作の目録に入れり。大師は承和のはじめにかくれ給へり。小町が盛りなる事、その後の事にや、なほおぼつかなし。

小野小町:平安時代の女流歌人。美人の誉れが高い。
玉造:玉造小町壮衰書。群書類従に収められている。
清行:文章博士や歌人など諸説がある。
高野大師:弘法大師。空海。
承和:仁明天皇の年号。八三四年から八四八年まで。

「小野小町のことは、はなはだはっきりしない。衰えた様子は、玉造という書物に見えている。この文は、清行が書いたという説があるけれど、高野大師の御著書目録に入っている。大師は承和の初めに亡くなられている。小町が若く盛りであることは、その後のことであろうか、そう思うと、やはりはっきりしない。」

小町は美人の誉れが高く、若い頃はかなり羽振りがよかった。しかし、その後は次々に身内と死別し、天涯孤独の身となり没落したと伝わる。血気盛んな若者の行く末を小野小町にこと寄せて論じようとしたのだろう。しかし、調べてみると、どうも根拠がはっきりしない。そのあたりの事情を正直に述べている。そのため、何を伝えようとしたいのかがはっきりしない。『徒然草』の執筆の姿勢を示したものかもしれない。

コメント

  1. すいわ より:

    若者の無軌道に関して書いた流れで小野小町を持って来て裏付けにしたかった、と言うところなのでしょうか?よくわかりませんね。でも、きっと小説のように推敲しながら文章を作り上げるのでなく、先生の仰るように「つれづれに」思ったことを取って出しで書き進めている事による不整合が生じたことをありのままに書き記した、という事なのでしょう。暗に老人は口出さない、と論じてしまった事で青年にアドバイスを、と書かなかった事をぼやかしているようにも思えてしまうのは少し意地悪な見方でしょうか、、。

    • 山川 信一 より:

      『徒然草』は、小説のように緻密な構成は持っていません。しかし、随筆としての性格を、つまり、「つれづれに」書いたものとしての性格を打ち出すための配慮は周到になされています。ここも恐らくそれなのでしょう。
      何もかも理屈通りに述べている訳ではありません、ご期待通りに書いている訳ではありませんと言っているような気がします。それが時に〈ずるさ〉を感じさせますね。

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