題しらす ふかやふ
こひしなはたかなはたたしよのなかのつねなきものといひはなすとも (603)
恋ひ死なば他が名は立たじ世の中の常無きものと言ひはなすとも
「題知らず 深養父
恋い死にしてしまったら、他の名は立つまい。人の命が世の中の無常であると言いなしたところで。」
「死なば」の「死な」は、ナ行変格活用の動詞「死ぬ」の未然形。「ば」は、接続助詞で仮定を表す。「(立た)じ」は、打消推量の助動詞「じ」の終止形。ここで切れる。いかは逆接になっている。「(言ひ)は(なす)」は、係助詞で「言ひなす」を強めている。
このままでは、私は恋の辛さに耐えきれず死んでしまいます。もし私が恋い死にしたら、あなた以外の誰の名も立たないでしょう。あなたがいかに無情な人間かという評判だけが立つことでしょう。たとえ、あなたが人の命などというものは、世の中では儚い無常なものだと言い繕ったところで。
作者の恋の相手は作者によほどつれないのだろう。作者はそんな相手の心を何とか変えようとしている。作者の論理はこうだ。「自分が恋い死にしたらそれは相手のせいであり、相手が世の無常という一般論で交わそうとしても、必ず世間にあなたの悪い評判が立つだろう。」作者はよほど相手を恨んでいるのだろう。しかし、恋の辛さはわかるけれど、これでは脅迫である。相手の心が作者に向くとは思えない。
この歌は、恋の歌がどこまで過激になれるかを示している。深養父の歌は、どれもやや表現が過剰なところがあるが、この歌はその最たるものだろう。しかし、それを示すのも、表現とはどうあるべきかを考える上で意味がある。編集者はそう考え、この歌を採用したのだろう。
コメント
私が恋死にしたら貴女がどんなに取り繕ったところで貴女以外の方の名が噂される事はないでしょう、躱せるものではありませんよ?(私の貴女への思いは言わずと知れたものなのだから)、、この歌単体だとしたらもはや恋ではなく執着。恋に潜む狂気。目には目をで、この前に手痛い返歌をもらってのこの歌なのでしょうね。寧ろ戯れて「恋」によって引き起こるドラマのバリエーションの例示を試みたという方が納得できます。
この歌の背景にはどんな人間模様があるのでしょうか。想像をたくましくさせられますね。『伊勢物語』にも、凄まじい恋もありました。事実恋はキレイゴトではありません。しかし、こんな歌が詠まれるようでは、恋は終わりです。戯れであってほしいものです。ただし、戯れにしても、作者にはそれなりの経験があったのでしょう。無ければ、こうは作れません。
「死」をもちだすとは穏やかでないし、先生が仰るように確かに脅迫に聞こえますね。恋の相手に却って嫌われてしまうでしょうに、、自棄になっていたとか!?
様々な恋があります。いつも恋が清らかで美しいとは限りません。中にはここまでに到る恋もあるのでしょう。恋の恐ろしさを表していますね。恋で死んでもただでは死なないぞと言うのですから。