《恋路と山路との類似》

題しらす つらゆき

わかこひはしらぬやまちにあらなくにまよふこころそわひしかりける (597)

我が恋は知らぬ山路にあらなくに迷ふ心ぞ侘しかりける

「題知らず 貫之
私の恋は知らない山道ではないのに迷う心が辛いことだなあ。」

「(知ら)ぬ」は、打消の助動詞「ず」の連体形。「(心)ぞ」は、係助詞で強調を表し係り結びとして働き文末を連体形にする。「ける」は、詠嘆の助動詞「けり」の連体形。
初めて行く山道は不慣れで道に迷うものですが、私の恋は初めて行く山道ではないのに、道に迷って戸惑うばかりです。この恋をどう進めたら、あなたに逢えるのでしょうか。それに迷う心が辛くてなりません。こんな恋をするのは初めてです。どうか道案内してください。
恋路を初めて行く山路にたとえている。恋が初めて行く山道という発見に独自性がある。歌で相手を口説こうとするなら、言い古された表現では上手く行かない。いかに新鮮な表現であるかが鍵となる。なぜなら、それが相手への特別な思いを表すことを意味するからだ。つまり、独創的な表現によって、相手に自分が特別な存在であることを知らせるのである。
選者の歌が続く。友則の歌は一つの完成形である。それをどう乗り越えるかが『古今和歌集』の課題になっているのだろう。芸術は、常に創造的でなくてはならない。新しい表現を求めている。編集者は、その姿勢を示したのだろう。

コメント

  1. まりりん より:

    恋路は迷い道。恋路を初めて行く山道に例えるのは、説得力がありますね。
    道案内が欲しいけれど、自ら迷いながら、傷付きながら進むしかないのでしょうね。

    • 山川 信一 より:

      貴族にとって、山道は、単に道が不案内なばかりでなく、険しく難儀するものだったに違いありません。そのため、「山路」は、恋路をたとえるのにぴったりだったのでしょう。

  2. すいわ より:

    山路なのですよね、真っ直ぐな道ではなくて。行き着く場所、何処へ行きたいかは分かっているものの、見通しがきかない山路。乗り越えなくてはならない障壁がある。その事に躊躇う自分を「侘しい」と言う事なのか?
    確かに着眼点が面白い。でも、弱みを見せて同情してもらうには弱腰すぎるように思えます。前の歌の「負けて勝つ」友則チャレンジにあと一歩、といったところでしょうか。

    • 山川 信一 より:

      恋の「障壁」に「躊躇」すると言うよりは、険しさに難儀しているのでしょう。ここで敢えて「侘しかりける」と心理を出してきたのは、山道に迷うことの恐ろしさを連想させるためです。恋路に迷う辛さとは、山道で迷ったあの辛さなのですと、読み手の経験に訴えています。「ける(けり)」は、「気付きのけり」です。自らの気付きを示すことで相手の共感を求めています。

      • すいわ より:

        「恋路」と「山路」の類似の発見、なのですね。「迷う心」に重点を置いてしまいました。自分の恋心は間違いないもののはずなのに「迷う心」が存在している、何に迷っているのか、越え難いものがあってそれに怯む自分が意識される、というように。それだと自問になってしまいますものね。納得しました。

        • 山川 信一 より:

          「迷ふ心ぞ侘しかりける」は、独特の表現ですよね。これをどう読み解くのかが鑑賞の決め手です。老練な友則、円熟期にある貫之。そんな二人を想像して読むのも楽しいですね。

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