《「そら」の用い方》

題しらす 凡河内みつね

あききりのはるるときなきこころにはたちゐのそらもおもほえなくに (580)

秋霧の晴るる時無き心には立ち居のそらも思ほえなくに

「題知らず 凡河内躬恒
秋霧のように晴れる時が無い心には立ち居の気持ちも思えないことよ。」

「秋霧の」は、「晴るる」に掛かる枕詞。「(思ほえ)なくに」の「な」は、打消の助動詞「ず」の未然形の古い形。「く」は、準体助詞。「に」は、間投助詞。全体で、詠嘆の気持ちを込めて前のことを打ち消す気持ちを表す。「ないことだなあ」
秋霧が立つ季節になりました。私の心は秋霧のように晴れ晴れする時がありません。それは、あなたへの思うように行かない恋のためにです。ですから、何をするのにも心ここにあらずの状態なのです。
「そら」は、ここでは、「気持ち」の意を表す。秋霧が晴れないイメージによって、恋するために何をしても放心の体であることを表している。また、「秋霧の」の縁語としても働いている。作者の表現力の巧みさがわかる。作者は、歌によって自分の教養のほどをアピールしている。
前の歌とは「そら」繋がりである。「そら」は多義語である。したがって、様々な使い方ができる。編集者は、その巧みな表現力を評価したのだろう。

コメント

  1. まりりん より:

    この歌の「そら」には、恋煩いで晴れない気持ちと、秋霧がかかって晴れない「空」が掛かっているのですね。和歌は、歌の内容も勿論ですが、様々な技巧も楽しいですね。

    • 山川 信一 より:

      「そら」には、「気持ち」と「空」の二つの意が掛かっています。技巧を凝らすことで相手に自分の力量を示しているのでしょう。それも相手に自分を売り込む手段になります。「おっ、この人なかなかやるな」と思わせれば、勝ちです。

  2. すいわ より:

    秋霧のように心が晴れない。「立ち居のそらも」が取りにくいのですが、「寝ても覚めても」ではなく、意識のある目の覚めている間、あなたを思うあまり気もそぞろで何も手に付かず、どうして良いのかわからない状態になってしまった、と言ったところでしょうか。静かではあるけれど秋霧の圧倒的に支配された空間に身を置く詠み手、柔らかな閉塞感に身動きが出来ないのですね。白昼夢の中のようです。

    • 山川 信一 より:

      「立ち居」は、人の動作しています。「立ち居のそら」は、「何をしてもその時の気持ち(は)」を意味しています。「柔らかな閉塞感」はいいですね。深い秋霧に包まれたような思いがよく出ています。

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