《仕返し》

題しらす 読人しらす

ゆくみつにかすかくよりもはかなきはおもはぬひとをおもふなりけり (522)

ゆく水にかすかくよりもはかなきは思はぬ人を思ふなりけり

「流れゆく水に数を書くよりも儚いのは思はない人を思うことだったなあ。」

「(思は)ぬ」は、打消の助動詞「ず」の連体形。「(思ふ)なりけり」の「なり」は、断定の助動詞「なり」の連用形。「けり」は、詠嘆の助動詞「けり」の終止形。
数を数えるために水に線を引いても、引いた先から消えていきます。まして、その水が流水であるなら尚更のことです。しかし、儚さから言えば、それ以上のものがあります。それは、私を思ってくれない人を思うことなのです。そのことに気が付いてしまいました。私があなたを思うのは、流れ行く水に数を書くよりももっと儚いものなのです。あまりに酷い仕打ちではありませんか。
作者は、恋人のつれなさの度合いを表すために、流水に数を書くという具体的な行為を出してきた。この極端なたとえによって、恋人がいかに自分に冷たいのかを恋人にわからせようとしている。ただし、作者自身恋人がこの歌で自分に心を寄せてくれるとは思っていない。この歌の内容は、ほとんど嫌みか皮肉である。相手を非難し、仕返しする気持ちに近い。もうこの恋を見限っている。だから、せめて、恋人のその仕打ちのひどさのほどを思い知らせてやろうとしている。一言言わずには気が済まないのだ。一首の逆恨みである。もっとも、相手にとっては迷惑な話である。いくら言い寄られても、そうしたくなければ、応える義務など無いのだから。
この歌も前の二首に引き続き「つれない人」への思いである。この三首は「つれなさ」が次第に高まり、受け入れてもらえる希望が減じていく順になっている。この歌は、恋人のつれなさに水に数をかくというたとえを持って来たところが斬新である。儚さのたとえとして、水に数を書くというたとえそのものは、伝統的・典型的・紋切り型であったとしても、編集者は、「つれなさ」との取り合わせを評価したのだろう。

コメント

  1. すいわ より:

    綺麗さっぱり水に流す、というより、この際、ぶちまけてやる!というニュアンスでしょうか。実る見込みのない恋に見切りを付けるにしても相手を傷つける自分に傷ついてしまいそう。相手の態度が腹に据えかねたのでしょうけれど、わざわざそれを歌にする、、と書いていて思い出しました。この歌、伊勢物語に出て来ていましたね。非難の応酬。外野は口出し無用。歌は「贈り物」でありたいですね。

    • 山川 信一 より:

      ここでは、男の歌として読みましたが、『伊勢物語』(第五十段)では、女の歌になっていましたね。言葉は状況から離れて使うことはありません。状況次第ではどちらの歌にもなります。状況こそが意味を決めます。いずれにしても、歌は罵り合いの道具にしたくありませんね。

  2. まりりん より:

    思はぬと思ひし後に去り行かば行く水にかく数のごとしや

    私が貴方に気がないことがわかって(貴方が)去っていくとしても、流れる水にかく数のように私はすぐに(貴方が私を思ってくれていたことなど)忘れてしまうでしょう。そう、言われるまでもなく私は冷たい女ですよ。

    こんな歌を返したら、傷口に塩を塗るようで後味が悪いですね。

    • 山川 信一 より:

      こうなると、売り言葉に買い言葉ですね。歌を恨み言を言う手段にしたくないものです。その思いから作者は『伊勢物語』第五十段を書いたのでしょう。この「国語教室」にもあるので、読んでみてください。酷い罵り合いです。

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