《忍ぶ恋》

題しらす 読人しらす

やまたかみしたゆくみつのしたにのみなかれてこひむこひはしぬとも (494)

山高み下行く水の下にのみなかれて恋ひむ恋ひは死ぬとも

「山が高いので、下を行く水が下にばかり流れる。そのように、私は見えないところで泣かれてあなたを恋しく思うだろう。恋い死にはしても。」

「山高み」は、いわゆる「み語法」と言われる表現である。「名詞+(を)+形容詞の語幹+み」で、原因理由や状態を表す。「山高み下行く水の」は、「下にのみなかれて」の序詞。「なかれて」は、「流れて」と「泣かれて」の掛詞。「泣かれて」の「れ」は、自発の助動詞「る」の連用形。「(恋ひ)む」は、推量・意志の助動詞「む」の終止形。以下は倒置。「恋ひは死ぬ」の「は」、係助詞で「恋ひ死ぬ」を強めている。
山が高く聳えているので、下を流れる水は下ばかり流れる。傍からはその様子を見られない。しかし、実際は水が見えないところで密やかに流れているのだ。それと同じように、私も何事も無いように振る舞っているが、見えないところで涙を流し、これからも泣きながらあなたを恋しく思い続けるだろう。たとえ、その忍ぶ恋の苦しさに恋い死にはしても。どうか、そんな私をわかってください。
「山高み」は、恋の相手に手が届かないことを暗示している。そのために、相手を死んでしまうほど恋い慕い、秘かに涙を流し泣いている。忍ぶ恋の苦しさを言う。「吉野河岩切り通し行く水の音には立てじ恋ひは死ぬとも」(492)とほぼ同じ構造である。「序詞+掛詞+推量の助動詞+『とも』による倒置。」この歌では、たとえを「川」から「山」に変えている。同じ歌の型による恋死のバリエーションである。

コメント

  1. まりりん より:

    死んでしまいそうに苦しい恋なのですね。幸か不幸か、私は今のところ死にそうな程の恋愛はしていないので、この様な気持ちは今ひとつピンと来ません。でも、身分違いゆえか恐らく成就しないでしょうね。そう思うと、切ないです。

    • 山川 信一 より:

      私も死んでしまいたいほどの恋はしたことがありません。しかし、失恋して生きる気力が失せたことはあります。恋には、喜びと苦しみが同居しています。喜びだけというのは、虫が良すぎるのでしょう。

  2. すいわ より:

    手の届かぬ恋。山あってこその川だけれど(あなたあってこその私)、この心を露わにする事は出来ない。出来ないままにその距離はどんどん離れて行く。この辛さ、流れる川の如く涙するしかない。それでもこの繋がりを断ち切る事は出来ない、たとえ私の命が尽きようと。身分が高くなればなるほど遮るものも多くなって、恋の成就が難しくなるのですね。

    • 山川 信一 より:

      恋は、逢えないつらさに死んでしまうほどのもの。そして、一方では当事者二人だけの秘密だからこそ成り立っています。だから、どんなにつらく苦しくても口にすることができません。恋をするとはこの矛盾を生きることなのです。だからせめて、こうして思いを歌にして相手に届けるしかありません。このたとえ、あなたならわかってくれますねと。

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