おきのくにになかされける時に舟にのりていてたつとて、京なる人のもとにつかはしける 小野たかむらの朝臣
わたのはらやそしまかけてこきいてぬとひとにはつけよあまのつりふね (407)
海の原八十島目がけて漕ぎ出でぬと人には告げよ海人の釣船
「隠岐国に流された時に船に乗って漕ぎ出すということで、京にいる人の許に贈った 小野篁の朝臣
大海原を沢山の島めがけて漕ぎ出てしまったと人には告げろ海人の釣り船。」
「(漕ぎ出で)ぬ」は、完了の助動詞の終止形。「告げよ」は、下二段活用の動詞「告ぐ」の命令形。ここで切れる。以下に命じている。
流刑の地である隠岐の島に流された時に船に乗っていよいよ配所に向かうということで、京に残してきた愛しい人に贈った。
大海原、そこに広がる沢山の島々を目指して遂に漕ぎ出してしまったと、京のあの人にだけは告げてくれ、漁夫の釣り船よ。もしかしたら、許されるのではないかという期待も絶たれて、再び京には帰ってこられないかも知れない配所への旅にとうとうその一歩踏み出してしまった、このやるせない思いを伝えてほしい。
篁は、遣唐使に任命されながら、乗船の手配について不満を持ち、命令に従わなかった。そのために処罰され、流罪になり、隠岐の島に流される。今まさに難波から瀬戸内海へと漕ぎ出そうとしている。これほど辛い旅もあるまい。旅は人との別れでもある。ならば、これほど辛い別れもあるまい。この時作者が思うのは、京に残してきた愛しい人のことだ。せめて今の思いを伝えたいと願う。しかし、作者は、その悲しみを直接表してはいない。自分の旅立ちの姿を人には告げてほしいと漁夫に言うことで表している。万言を費やしてもあまりある今の思いを余情として伝えようとしたのである。
前の歌と比較すると、どちらも遣唐使に関わっている。ただし、前の歌は帰京、この歌は旅立ちという違いがある。
コメント
沢山の島々が浮かぶ大海原。都人にとっては未知の風景、行く先の定まらない不安定な感覚を、冒頭で見せられる。それでもあの海原に漕ぎ出でて行ったと、この私の姿をどうか伝えてくれと強がっているようでもあります。
前回の歌とは対照的に意に沿わぬ旅立ち。誰よりも本人が心細く不安な気持ちでいることでしょう。でも、京に残してきた人にそんな心持ちが伝わったら、、。二度と会えないかもしれない、ならば悲嘆に暮れる様子でなく、海人にも負けない雄々しさで漕ぎ出でて行ったと思い人には伝えて欲しい、、。
?でもこの「人」、ここまで書いてみて「思い人」なのか?と思えてきました。流罪にされる事に納得していない篁、「唐への派遣が気に入らない、ならば隠岐へ流してやる」?そんなの私にとってどうということもない事だ、と言っているようでもあり。
確かに、強がっている感じが伝わってきますね。作者は、雄々しい姿を見せつけようとしています。この点を言うべきでした。そうなると、表したい気持ちは、潔さでしょうか。あるいは、この理不尽な仕打ちへの反発や反抗心や不満でしょうか。万感の思いは、愛しい人へとの別れの悲しみに留まるものではなさそうです。
これも百人一首で有名な歌ですね。旅立ちの歌とは思っていましたが、罰で島流しにされた背景があったことは知りませんでした。
大海原に、ポツポツ散らばるように浮かんでいる島。この後の孤独と寂しさを予感しているようです。そして、「告げよ」と命令形にしているところで、自分を鼓舞しているように感じます。
旅も、楽しい旅ばかりではないですね。当たり前ですが。。
「自分を鼓舞」、そうですね。そうでもしないと、このたらい旅には耐えられそうにありません。雄々しさを自ら演出している感じがしますね。