《恋の沼の花》

古今集 巻十四:恋四

題しらす よみ人しらす

みちのくのあさかのぬまのはなかつみかつみるひとにこひやわたらむ (677)

陸奥の安積の沼の花かつみかつ見る人に恋ひや渡らむ

「題知らず 詠み人知らず
東北の安積の沼の花かつみではありませんが、一方で逢える人にどうして恋い続けるのだろうか。」

「陸奥の安積の沼の花かつみ」は、「かつ見」を導く序詞。「(恋ひ)や(渡ら)む」の「や」は、係助詞で疑問を表し係り結びとして働き文末を連体形にする。「む」は、推量の助動詞「む」の連体形。
東北の福島にある安積の沼に咲く花かつみをご存じでしょうか。私は一度見たことがあります。今でもその「花かつみ」への懐かしさが募ります。それと同じように、私はあなたに逢えたのに、その一方で、逢わずにいられない苦しい思いが募ってなりません。逢おうと思えば逢えるのですから、もう恋しがる必要など無いはずです。それなのに、逢えない時間が耐えられないほどつらいのです。これからもこのつらさ苦しさが続くことになるのでしょうか。
恋は共寝をしたところで、それで終わるものではない。いや、恋人を胸に抱いていてさえも満たされない悲しみに襲われる。まして離れれば、いっそう恋しくなり、逢わずにいられなくなる。作者は、恋人にそんなつらさ苦しさを訴えている。
この歌は、恋の継続がテーマである。恋は、恋人と結ばれたところで、それで終わるものではない。むしろ結ばれてから始まるのだ。しかも、序詞によって、恋が底なし沼に咲く美しい花であるとたとえている。その花の美しさに魅入れれて一度はまったら、もう抜け出すことなどできない沼なのだと。この歌は、そんな恋の本質を捉えている。それ故、編集者は第四の巻頭にふさわしいと判断したのだろう。

コメント

  1. すいわ より:

    遠くにあって焦がれていた時、手を伸ばしても触れられず、手に入れようと求め続け、心は満たされなかった。あなたへの恋心はまるであの陸奥の花かつみを思うよう。思いを遂げて今、誰に遠慮するでもなく会えるというのに、あなたのお姿が一たび見えなくなると、たちまち恋しさが募り、追う必要などないはずなのに恋初めた頃のようにあなたをもとめてしまうのは何故かしら、、。恋一、ニ、三、そして恋四。今度は手に入れたものを無くさないか不安になる。なるほど綺麗なだけでは済まない、抜けることの出来ない「沼」にはまったようなもの、なのですね。

    • 山川 信一 より:

      「陸奥の安積の沼の花かつみ」は、「遠くにあって焦がれ」「手を伸ばしても触れられ」なかった恋人を表していたのですね。納得しました。

  2. まりりん より:

    沼の花かつみ。その美しさに魅せられてふらふらと沼に入ってしまったら最後、底なし沼から出られなくなる。「花(恋)の魔力」のようなものを感じます。近づいたら危険だと分かっているのに、引き寄せられてしまう。恋は理屈ではないですものね。

    • 山川 信一 より:

      序詞の使い方が上手ですね。沼の花かつみには、魔力を感じますね。危険だとわかっていても近づかずにはいられない、それが恋。上手いたとえですね。

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