秋のはつる心をたつた河に思ひやりてよめる つらゆき
としことにもみちはなかすたつたかはみなとやあきのとまりなるらむ(311)
年毎に紅葉葉流す竜田河湊や秋のとまりなるらむ
「秋が果てる心を竜田河に思いをやって詠んだ 貫之
年毎に紅葉の葉を流す竜田河は湊が秋の最後の落ち着き所になっているのだろう。」
「湊や」の「や」は、係助詞で疑問を表し、係り結びとして働き文末を連体形にする。「とまりなるらむ」は、「とまり」に「止まり」と「泊まり」が掛けてある。「なる」は、断定の助動詞「なり」の連体形。「らむ」は、現在推量の助動詞の連体形。
秋が終わってしまった。一抹の寂しさがある。秋と言えば、竜田河の紅葉を思い出す。竜田河は毎年紅葉の葉を流す。何と言っても、紅葉は秋を代表する景物である。ならば、竜田河が流すのは、紅葉ばかりでなく秋を流すと考えてもいいだろう。すると、秋が行き着く先は紅葉が流れ着く湊だ。湊には紅葉が溜まり、今ごろ紅の波が立っているのだろう。そして、そこには今も秋も止まり泊まっているのだ。湊まで行けば、今でも秋に会えるだろう。
作者は、秋が終わるのを寂しく感じている。秋はどこに行ってしまったのかと、秋の行方が気になるのだ。そこで、素性法師の「紅葉葉の流れて止まる湊には紅深き浪や立つらむ」(293)を発展させて、秋が行き着くところは湊であると考えた。それなら、港まで行けば、まだ秋に会えるかもしれない。こんな風に想像することで寂しさを慰めているのである。
素性法師の歌を踏まえたのは、歌集としての一体感を持たせたのだろう。また、想像力を働かせることが寂しさを紛らわす一つの方法であることを示したのだろう。
コメント
山から始まった「秋」の旅、竜田川の流れにその身を預け、その美しい姿のまま谷川を、枯れ野を、村を、町を通り抜けて行くのでしょう。見送る者たちに鮮やかな印象を残し、さて、どこへ行き着くのか。旅の終わりは何処なのか。
川は流れて海へと注ぐ。ならばきっと秋は海へと辿り着きそこに泊まっているのではないか?
沈む夕日、暮れ行く秋。ひと日と一年。海を紅く染めるのはどちらのせいでしょう。(この歌では「としことに」ですから秋が海を染めるのでしょうね)
秋との別れが名残惜しく、河口の泊まりにまだ秋が滞在しているのなら、そこを訪ねればまだ会えるかもしれない、という所までは想像できませんでしたが、『土佐日記』で見送りの人たちが泊まりにまで追いかけて来て別れを惜しんでいた姿を思い出しました。
そうですね、この歌では海に沈む赤い夕日は意識されていないようです。時間の単位が「日」ではなく「年」になっていますね。
『土佐日記』のあのくだりの発想は、既にあったのでしょうか。そう想像してみるのも楽しいですね。
川の水に流された紅葉が湊に集まって留まるという空間的な果てに、秋がとどまる、つまり(本当はあり得ないけれど)季節が(時間が)止まるという時間的な果てを重ねていて、秋が去ってしまう事への寂しさ、名残惜しさを一層感じます。 今年は最後もう1回だけ会いに行くから、私が着くまでちょっと待ってて! というような作者の気持ちが垣間見える気がします。
素敵な鑑賞です。湊は、紅葉の空間的な果てであり、秋の時間的な果てですね。この歌は、その二つの果てを重ねているのですね。そこに独創性があります。私もそれを言葉にして指摘すべきでした。
作者は、秋が去ってしまうことが寂しくて、消えて無くならないでどこかにいて欲しいのですね。会いに行こうと思えば会いに行けるところに。そこが湊なのですね。