題しらす よみ人しらす/ある人のいはく、この歌はならのみかとの御歌なりと
はきのつゆたまにぬかむととれはけぬよしみむひとはえたなからみよ (222)
萩の露玉に抜かむと取れば消ぬよし見む人は枝ながら見よ
「題知らず 詠み人知らず/ある人のいうことには、この歌は平城天皇の御製歌であると
萩の露を真珠として紐に通そうと手に取ると消えてしまった。仮に真珠として見ようとするなら、枝のままで見なさい。」
「抜かむ」「見む」の「む」いずれも未確定を表す助動詞。まだそうなっていないのである。ここでは意志を表す。「取れば」の「ば」は接続助詞で、偶然的条件を表す。「・・・したところ」の意。「消ぬ」の「消(け)」は、ヤ行下二段活用の動詞「消ゆ」の連用形。「ぬ」は、自然的完了の助動詞「ぬ」の終止形で、ここで切れる。「よし」は副詞で、「仮に・たとえ」の意。「見よ」は、ヤ行上一段活用の動詞「見る」の命令形。
萩に露が置いた。それは、まるで真珠のような美しさだ。それを枝から抜いて紐に通して、真珠の首飾りを作りたいと思う。ところが、手に取ると、萩の玉はそのそばから消えてしまった。だから、仮に人が萩の露を真珠として見ようとするなら、その人は露が枝に着いたまま見なさい。
上の句で失敗談を述べる。下の句で、同じ失敗を繰り返さないように、それに基づいたアドバイスを述べる。これらを通して、伝えたいのは、もちろん、萩の露の儚い美しさである。それは、大の大人にこんなたわいのない過ちをさせ、大袈裟なアドバイスをさせるほどなのだ。萩の露の儚い美しさがどれだけのものかが伝わってくる。しかも、その大の大人が天皇であればなおさらであろう。
コメント
あまりの美しさに手を伸ばし、触れたそばからこぼれ落ちたしまった露。「触れてはならない」とは言わず、そこに置いたまま愛でよとするあたりがなんとも奥ゆかしい。秋のこの繊細な美しさは何人たりとも独り占めできるものではない。たとえそれがやんごとない人だとしても。もし、そうしようものなら儚く散り失せてしまう。『伊勢物語』の「つゆとこたえて」ではないけれど、喪失感を伴うこの美しさは秋特有かもしれません。
「枝ながら見よ」と命じているあたりに身分の高さが表れているのでしょう。露の美しさと儚さを感じる意識は、現代人には損なわれていますね。せいぜい、ピンとくるのは蓮の葉の露ぐらいでしょうか。平安人の繊細さに叶いませんね。