第百八十三段  違法を嘆く

 人突く牛をば角を切り、人食ふ馬をば耳を切りて、そのしるしとす。しるしをつけずして人をやぶらせぬるは、主の咎なり。人食ふ犬をば養ひ飼ふべからず。これ皆咎あり。律の禁なり。

律:大宝律令(七〇一年)のこと。

「人を突く牛は、角を切り、人に食いつく馬は耳を切って、そのしるしとする。しるしをつけないで、人を傷付けさせてしまうのは、その飼い主の罪である。人に食いつく犬は養い飼ってはならない。これらのことは皆罪がある。大宝律令が禁じていることである。」

家畜にはしかるべき飼い方がある。それを守って初めて家畜を飼うことが許される。それを怠れば、問題が生じる。問題が生じれば、飼い主の罪である。もっともな考えである。このことが既に大宝律令に定められていると言う。まず、大宝律令がこんな細部にまできまりを作っていたという事実に驚く。また、それを知っていた兼好の博学にも驚かされる。
それはさておき、兼好が敢えてこう言うのは、当時はこのことが守られていなかったからだろう。事実、こうした牛や馬や犬がいたのだ。つまり、飼い主がきまりを守っていなかったのだ。これでは世はむしろ退歩していることになる。兼好は、それを苦々しく思っていたに違いない。
しかし、なぜこんなことになったのだろうか。乱世が続いて、家畜を気に掛ける余裕が無くなったからだろうか。ならば、大宝律令ができた頃の世の方が収まっていたことになる。兼好が嘆くのももっともである。

コメント

  1. すいわ より:

    「律の禁なり」と最後に言うあたりが意味深。大宝律令、兼好の時代から六百年は前に制定された法ですよね。現行法とは考えにくい。そもそも動物を飼う事に反対していましたし、「太古の時代でもしっかり法律化されていた事、今更言わずと知れた常識だろう?」との皮肉を込めての記述なのではと思いました。兼好さん、今はもっと酷いかもしれません。気軽に「買って」飽きたら捨てる、命を命とも思わない扱いをする人、残念ながらいなくなりません。

    • 山川 信一 より:

      律は当時でさえ、六百年も前のものでしたから、もう大分変わってしまったと思いきや、多少の改定はあっても、なんと明治維新まで朝廷の大法だったそうです。
      それなのに、家畜についての決まりは、当時忘れられていたようです。家畜の扱いこそ、時代を反映するのでしょう。それは現代にも当てはまりそうです。

タイトルとURLをコピーしました