寛平御時きさいの宮の歌合のうた 紀とものり
さみたれにものおもひをれはほとときすよふかくなきていつちゆくらむ (153)
五月雨に物思ひをれば郭公夜深く鳴きていづち行くらむ
「宇多天皇の御代、皇后温子様が主催された歌合わせの歌 紀友則
五月雨に私が物思いをしていると、郭公は夜深く鳴いてどこに向かって飛んで行こうとしているのだろう。」
作者の行為と郭公の行動を取り合わせている。「らむ」は現在推量の助動詞。
五月雨は今で言う梅雨である。梅雨はそれでなくても鬱陶しいのに、作者は物思いをしている。じめじめした長雨によって、気分は一層重くなっていく。そんな状態が一日中続く。いつのまにか夜が深まる。そんな時に、郭公が鳴いた。鳴きながらどこかに向かって飛んで行こうとしているようだ。作者は郭公にあやかりたい、自分も同じように鳴きながらここではないどこかに飛んで行ってしまいたいと願った。堪えられないほどの季節感と共に、自由な郭公への憧れを詠んでいる。杉田久女の「谺して山ほとぎすほしいまゝ」は、この歌を踏まえているのか。
「物思ひ」には時間の長さが感じられる。「夜深く」から一日中物思いに耽って、深夜に到ったことがわかる。自然は、その時の思いによっていかようにも感じられる。作者には、五月雨の降る夜の郭公の声が自由への憧れを持って感じられている。
コメント
深い悩みがあるんですね。
ホトトギスと一緒に、自由にどこかへ飛んで行ってしまいたいですね。
私も同じく憧れます。
ホトトギスに自分に無いもの、つまり、どこにでも行ける自由を感じたのでしょう。
悩んでいる時には、どこかここではないところに行きたいと思いますね。
沈思するうちにいつの間にか夜になっている。郭公の鳴く声に我に帰ると辺りは鬱々とした五月闇。郭公の声が間遠くなる。この闇も一緒に持ち去ってくれればいいのに。お前のようにここでない何処かへ行ければいいのに。
真っ直ぐ素直な歌ですね。暗い印象ですが重い気持ちを郭公のせいにしないところに好感が持てます。
五月闇に聞くので、鳴きながら飛んで行く郭公の声が自由の象徴のように聞こえるのでしょう。
これも、郭公による季節感ですね。