しかの山こえに女のおほくあへりけるによみてつかはしける つらゆき
あつさゆみはるのやまへをこえくれはみちもさりあへすはなそちりける (115)
梓弓春の山辺を越え来れば道も避り敢へず花ぞ散りける
「滋賀の山越えに女が多く私に出会ったのに詠んで贈った 貫之
梓弓が張るではないが季節は春。その春の山辺を越えて来たところ、道も避けきれないほどに花が散っていることだなあ。」
梓弓は春に掛かる枕詞。弓は「張る」ことから同音の「春」を導く。「越え来れば」の「ば」は、後に述べる事柄に起こった場合を表す接続詞をつくる。「・・・たところが」という意。「ぞ」は、係助詞で強調を表し、係り結びで文末を連体形にする。「ける」は、「けり」の連体形であることに気が付いて詠嘆する意を表す。
滋賀の山越えで出会った女たちを道いっぱいに散り敷く櫻の花びらに見立てている。まず枕詞の「梓弓」は、弓が張るように命が漲る春をイメージしている。山を越えると沢山の女たちに出会う。春にふさわしいほどの華やかさである。折しも、道には散った桜が散り敷いている。この歌も諷喩で、花びらと女たちの美しさが二重写しになって感じられる。
これは、思いがけず、美しいあなたたちに出会えましたという女たちに対する挨拶の歌になっている。
コメント
うわあ、華やかな情景が浮かびます。春はいいですね。
しかし、このような歌を読むなんて。
貫之はちびまる子ちゃんに出てくるハナワくんのようなキザな人だなあと思いました。
本当に春の情景とそれへの喜びが溢れていますね。その浮かれ気分から女性たちにもこんな歌を贈ったのでしょうね。春は恋の季節です。
こんな風に春を描くことができるのですね。さすが貫之です。
山を登り越えた先に待っていたのは桜が一面に散り敷いて、何処が道かも分からぬほどの美しい景色。山登りを厳しい冬、それを越えて訪れた春と見立てることも出来るでしょうか。春の輝きを描きつつ、山越えの先で出会った女たちを花に喩えるとは。女たちへの挨拶でこんな歌を贈るなんて細やかというか、何というか。女たちの心を鷲掴みですね。
山を登り切ると、そこは春であったという感じですね。一気に視界が広がる感じがします。
道を隠してしまうほどの櫻の花びら、そして華やかな女性たち。情景が目に浮かびます。
これでは歌を贈られた女性はイチコロです。