第十五段 ~旅の恋~

 昔、陸奥の国にて、なでふことなき人の妻に通ひけるに、あやしう、さやうにてあるべき女ともあらず見えければ、
 しのぶ山しのびてかよふ道もがな人の心のおくも見るべく
 女、かぎりなくめでたしと思へど、さるさがなきえびす心を見ては、いかがはせんは。

 これも東北での話。前の段の続きと読める。京に帰る途中だったのか、男はまた別の女にちょっかいを出す。今度こそは、京の「つと(土産)」という期待もあったのだろう。男は、なんということもない(「なでふことなき」)人の妻に通ったところ、不思議に、そのような人の妻であるはずの女とも見えなかったので、歌を贈る。〈旅の途次・人妻〉と条件がそろうと、実際以上に魅力的に思えるものなのだろう。
 歌にも詠まれる「しのぶ山」、その名のようにこっそりとしのんでいける道がないかなあ、あなたの心の奥までも見ることができるように。
「しのぶ山」は、「しのび」の枕詞。「がな」は、願望の終助詞。
 女は、この上なく嬉しいと思った。(なぜなら、こんな素敵な歌を贈られたことがないから。しかし、この歌はまあ普通の出来だ。これを素晴らしいと感激することからすれば、底が知れている。)、そのようながさつなもののあはれを解さない(「さがなき」)心を見ては、どうにもならないだろうね。止めといたほうがいい。(「いかがはせむ」)
 語り手は、男の陸奥への期待を否定している。前段同様、文化の壁は越えられないと言っている。

コメント

  1. すいわ より:

    前段に続いて東北の話、しのぶ山は福島の信夫山でしょうか。「夫(つま)を信じる」と現在は書くあたり、皮肉なものです。歌を読むにも修練は必要、人の通う事の少ない未知の国では都のそれと同じものは期待出来ない、それ程に異国の地なのだと感じられます。安達太良山の空はあっても、それを見る目を養わなくてはならないのですね。

    • 山川 信一 より:

      書き手には、地域差別の意識が感じられます。京都人は今でも自尊心が強いけれど、当時は殊更だったのでしょう。
      『翔んで埼玉』は、そんな意識を笑い飛ばします。

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