《控えめになる望み》

是貞のみこの家の歌合のうた よみ人しらす

あききりはけさはなたちそさほやまのははそのもみちよそにてもみむ (266)

秋霧は今朝はな立ちそ佐保山のははその紅葉よそにても見む

ははそ:「こなら」の別名。

「是貞の親王の家の歌合の歌 詠み人知らず
秋霧は今朝は立ってくれるな。佐保山のははその紅葉を遠くからでも眺めよう。」

「秋霧は今朝は」の二つの「は」は係助詞で、物事を二重に限定している。「な立ちそ」の「な」は呼応の副詞、「そ」は終助詞。ここで切れる。「な・・・そ」で「・・・」の動詞の連用形を挟んで、禁止の意味を加える。ここで切れる。「見む」の「む」は、意志の助動詞「む」の終止形。
紅葉を見に来たのに、秋霧が立っている。秋に霧が立つのは、まあ仕方がない。しかし、せめて今朝だけは立たないでほしい。見られるなら、色の薄いこならの紅葉でいい。いや、近く手に取って見ないにしても遠くからでも眺めよう。
「秋霧は」と限定し、次に「今朝は」と限定し、更に「よそにても見む」と限定する。これによって、望みが段々控えめになっていく心理を表している。望みは、初め大きくても、叶わないと、せめてこれぐらいはと段々小さくなっていくものである。とは言え、望む強さは変わらない。それ故のものである。

コメント

  1. すいわ より:

    十五夜にお天気が思わしくなくて雲の隙間からでもせめて拝めないものかなぁ、という感覚と似ているのでしょうか?
    佐保山の紅葉はきっと素晴らしいものなのでしょう。でも連日霧が掛かり思うように堪能できない。
    コナラの葉は色付くというより色褪せて枯れた薄茶色。そんな色味しか感じさせない程、秋霧は厚いベールで佐保山を隠しているのでしょう。それでも今日こそは佐保山の「紅葉」を見たい。一目でも見られるのなら、多くは望まない、、、と言いつつ、薄茶色で満足するはずも無く「控えめな望み」はむしろその全体がどんなに素晴らしいかをより強調する効果をもたらしているように思います。

    • 山川 信一 より:

      確かに「控えめな望み」の背後には、本音が隠されていますね。佐保山全体の紅葉を見たいのでしょう。

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