廿五日、かみのたちよりよびにふみもてきたなり。よばれていたりてひひとひよひとよとかくあそぶやうにてあけにけり。
これは、今の国司による公式の馬の鼻向けだろう。手紙による正式依頼が来る。今までのは送る側が訪ねて来たけれど、今回は立場上今の国司の方が上なので、行かねばならない。書き手は女なので、招かれなかった(という設定になっている)。
そのため、「なり」「けり」を使っている。「なり」は伝聞・推定の助動詞。〈どうも手紙を持って来たようだ〉ということ。(「きたなり」は、「きたるなり」の撥音便「きたんなり」の「ん」の無表記。)「けり」は、確認の助動詞。直接経験していないけれど、それが事実であることを確かに認めている時に使う。書き手は、ここに書かれていることを実際に経験していない。聞いた話であるけれど、事実だと確信しているのである。
もちろん貫之は、自分が書き手であると思われたくないからである。
ここは、公のことでもあり、批判を避け、事実のみをそのまま書いている。日を徹し、夜を徹し、詩歌・管弦・舞踊などをしているうちに夜が明けてしまったのである。
コメント
一刻も早くここを去りたくて日が暮れたにも関わらず邸を後にしたというのに、なかなか旅立ち切れず、気の毒になって来ます。立派に勤め上げて最後に心象を悪くしては元も子もない、お付き合いも一仕事ですね。
「あそぶ」が楽器を演奏する、と言うことも教えて頂いていたのですが、一昼夜を敢えて「ひひとひよひとよ」と書いた音と字面そのものに遊び心を感じました。
お付き合いも仕事のうち、まさにそうですね。これを楽しめる人とそうではない人がいます。貫之は後者でしょう。
「一昼夜を敢えて「ひひとひよひとよ」と書いた音と字面そのものに遊び心を感じます。」には、共感します。これは、うんざりするほどの長さを表したのでしょう。