ふかくさのみかとの御時に蔵人頭にてよるひるなれつかうまつりけるを、諒闇になりにけれは、さらに世にもましらすしてひえの山にのほりてかしらおろしてけり、その又のとしみなひと御ふくぬきて、あるはかうふりたまはりなとよろこひけるをききてよめる 僧正遍昭
みなひとははなのころもになりぬなりこけのたもとよかわきたにせよ (847)
皆人は花の衣になりぬなり苔の袂よ乾きだにせよ
「深草の帝の御代に蔵人頭にあり昼夜親しくお仕え申し上げたのに、諒闇になってしまったので、すっかり出仕も止めて比叡の山に登って頭髪を剃り下ろして出家した、その翌年、誰もが皆喪服を脱いで、ある者は衣冠を戴いたなどと喜んだと聞いて詠んだ 僧正遍昭
誰もが皆花の衣になってしまったそうだ。苔の袂よ、せめて乾きでもしてくれ。」
「(なり)ぬなり」の「ぬ」は、助動詞「ぬ」の終止形で完了を表す。「なり」は、助動詞「なり」の終止形で伝聞を表す。「(袂)よ」は、終助詞で呼び掛けを表す。「だにせよ」の「だに」は、副助詞で最小限を表す。「せよ」は、サ変動詞「す」の命令形。
作者は、自分が深草天皇の死をいまだ悲しみ悼んでいることを伝えようとしている。
この歌は、前の歌とは天皇の死繋がりである。編集者が続けて載せたのは、天皇の死ともなれば一首では終われないからだろう。喪が一年の長さともなると、誰しもが本音ではうんざりしていたに違いない。そのため、喪が明けて晴れ晴れしている。それに対して、他者の悲しみが形ばかりだと苦々しく感じていたのだろう、作者は自分は違うと言うことで自分がいかに天皇を慕っていたかを表している。これは、他者に対する皮肉ともとれる。「なりぬなり」の「なり」が利いている。この一語によって噂を耳にしたことを表している。「花の衣」と「苔の袂」の対照的な色によって、自分と他者の違いを視覚的に象徴している。「苔の袂よ」と「乾きだにせよ」の「よ」が響き合い、作者の強い意志を表している。編集者は、こうした表現を評価したのだろう。
コメント
先帝がお隠れになった事で自分は出家し山奥の寺で喪が明ける今も菩提を弔っていると言うのに、世間はもうすっかり浮かれて次世におもねっている様子がこんな山奥にも伝わって来る、、きっと苦々しい思いでいる事でしょう。「花の衣」と「苔の袂」がそれをくっきりと象徴しています。苔が結ぶには相応の時間がかかるわけで、「せめて袂が乾いてくれ」と言うのだから未だ涙の乾く間もないほどだ、と。なかなか強い皮肉に聞こえますが、出世レースから降りたからこそ言えることを言ったのでしょうか。この歌をこの位置に置く編集者も「歌」の意義を示すためならと、なかなか腹が括れているなぁと思いました。
結局、和歌の世界は出世とは懸け離れたところにあったのでしょう。権力者の側から言えば、一々目くじらを立てることもない、いいガス抜きぐらいに思っていたのかもしれません。だからここでは、自由にものが言えたのでしょう。