《馴染まない妻》

題しらす かけのりのおほきみ

からころもなれはみにこそまつはれめかけてのみやはこひむとおもひし (786)

唐衣慣れば身にこそ纏はれめ掛けてのみやは恋ひむと思ひし

「題知らず 景式王
唐衣を身に着慣れると身に体に纏わるだろうが、衣桁に掛けてばかり恋するだろう思ったか。」

「唐衣」は、「慣れ」の枕詞。「(慣れ)ば」は、接続助詞で順接を表す。「こそ」は、係助詞で強調を表し係り結びとして働き文末を已然形にし次の文に逆接で繋げる。「(纏はれ)め」は、助動詞「む」の已然形で推量を表す。「のみやは」の「のみ」は、副助詞で限定を表す。「やは」は、係助詞で反語を表し係り結びとして文末を連体形にする。「(恋ひ)む」は、助動詞「む」の終止形で推量を表す。「(思ひ)し」は、助動詞「き」の連体形で過去を表す。
唐衣は、着慣れると、くたくたになって体にぴったりと纏わります。そのように、あなたが次第に私につき纏わるだろうと思っていました。ところが、どうもそうはなりませんでした。あなたは、少しも私に馴染んでくれません。私は、衣桁に掛けたままの唐衣のように硬い態度のままのあなたに、心に掛けてばかりの恋をするだろうと思ったでしょうか、思いもしませんでした。
それなりの過程があって夫婦生活を始めても、その後妻が夫を好きになれないことに気づく場合もある。妻は夫に少しも馴染もうとしない。夫は衣桁に掛けた唐衣を眺めるような気持ちで妻を眺めることになる。これでは抱く気にもなれない。たとえ抱いたところで、心が閉ざされたままなのだから。自分のものにすれば、心も思い通りになる訳ではない。この歌はぼやきである。この歌で妻の心を動かせるかは心許ない。しかし、歌は巧みに作られて夫の気持ちをよく表している。編集者は、こうした夫婦のありがちな姿を捉えた点を評価したのだろう。

コメント

  1. すいわ より:

    地位のある人であれば結婚相手を自分で選べる訳でもなく婚姻というか形の箱が用意されてそこに心を詰めて行く。全く知らない同士、思いを通わせるにはお互いに理解し合う努力が必要。美しい妻、お飾りで眺める為に迎えたつもりはない。心開いてくれることを待ったけれど、一向に打ち解けてくれない。手を取り触れ合い、相手の熱を感じれば心も動こうと言うもの、いくら美しくとも眺めてばかりでは恋には至れないなぁ、、。心の声が溢れてまず一歩、駒を進めたと言う事で、、。

    • 山川 信一 より:

      結婚してみて、どちらか一方がやはり好きになれないと思うことは、現代でもあるのではないでしょうか?そんな時に、男なら浮気をし、女なら心閉ざすのではないでしょうか?そんな普遍的な姿が描かれているように思えます。

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