《変わらない習慣》

題しらす よみ人しらす

いまはこしとおもふものからわすれつつまたるることのまたもやまぬか (774)

今は来じと思ふものから忘れつつ待たるることのまだも止まぬか

「題知らず 詠み人知らず
もう来るまいと思うものの、それを忘れては待たれることが未だにも止まないのか。」

「(来)じ」は、打消推量の助動詞「じ」の終止形。「(思ふ)ものから」は、接続助詞で逆接を表す。「(忘れ)つつ」は、接続助詞で反復継続を表す。「(待た)るる」は、自発の助動詞「る」の連体形。「(まだ)も」は、係助詞で強調を表す。「(止ま)ぬか」の「ぬ」は、打消の助動詞「ず」の連体形。「か」は、終助詞で疑問・詠嘆を表す。
あの人はもう来ないだろうと思うのに、それを忘れ忘れして、気がつくと自然にあの人を待っている。未だにもその習慣が止まないことだなあ。
この歌も前の歌と同様、来ない男を待っている女の気持ちを詠んでいる。未練を捨てきれない自分に嘆息している。しかし、どうすることもできないのである。言葉の上では「今」繋がりである。ただ、前の歌にある「細蟹」といった具体物がない。思いをストレートに詠んでいる。これはこれで思いが直接伝わってくる。編集者は、歌のバリエーションとして対照して見せたのだろう。

コメント

  1. すいわ より:

    「今は来ることはないだろう」、今はね。でも次の夜は来るかもしれない、という望みを捨てきれない。だから現実は見ない事にして忘れたふりを続ける。忘れたから待つこともやめられない。そしてまた「今は」来ない、と思う。このループから出られない。待たせる辛さもあるのでしょうけれど、待つは動かないから尚更がも縛り付けられますね。

    • 山川 信一 より:

      この歌は、具体物が出てこないと言いましたが、それは早計でした。と言うのは「またるることのまたもやまぬか」に「琴」が掛かっているからです。「琴」まだ止まないのです。それは、作者の心のたとえです。そう思うと、優雅な琴の音と胸の高鳴りが重なってきます。

      • すいわ より:

        あぁ!「まだ弾きも見ぬをとめごの胸にひそめる琴の音を知るや君」、藤村の詩を思い出しました!なるほど「琴」、胸の内の高鳴りはまだ続いている。納得です。

        • 山川 信一 より:

          この歌も他の歌同様に名歌でした。藤村も『古今和歌集』の伝統を踏まえていたのでしょう。『古今和歌集』、恐るべしです。一層気を引き締めて読んでいきます。

  2. まりりん より:

    最初に読んだときは、つまらない歌と思いました。でも、「琴」が隠れているとは! 一気に彩り豊かな歌に思えてきます。
    「琴の未だも止まぬか」で、感情の極まりを感じます。鳴り響く琴の音が、空気を揺らしながら来ない人の所まで届きますように。。そんな願いがこもっているでしょうか。

    • 山川 信一 より:

      すみません、うっかり読み落としてしまいました。『古今和歌集』には、いわゆる駄作(つまらない歌)はありません。もしつまらないと感じるとしたら、正しく読めていないのです。反省しています。

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