《女の皮肉》

題しらす よみ人しらす

はなかたみめならふひとのあまたあれはわすられぬらむかすならぬみは (754)

花筐目並ぶ人の数多あれば忘られぬらむ数ならぬ身は

「題知らず 詠み人知らず
見比べる人が沢山いるから忘れられてしまっているだろう。取るに足らないこの身は。」

「花筐」は、花を入れる籠のことで、編み目が細かく並んでいるので「目並ぶ」の枕詞にになっている。「(あれ)ば」は、接続助詞で原因理由を表す。「(忘ら)れぬらむ」の「れ」は、受身の助動詞「る」の連用形。「ぬ」は、完了の助動詞「ぬ」の終止形。「らむ」は、現在推量の助動詞「らむ」の終止形。「数ならぬ身は」は、倒置になっている。
花籠の目が並んでいるように、あなたの前には花のように美しい人が沢山いて、あなたはそれを見比べていらっしゃるから、忘れられてしまっているのでしょうね。私みたいに取るに足りない身は。
忘れられてしまった女の皮肉である。嫌味の一つも言わずにはいられないのだろう。
「花筐」は、「目並ぶ」の枕詞になっているだけでなく、美しい人が沢山いることを暗示している。「忘られぬらむ」の「れ」「む」「らむ」が的確に使われている。「数ならぬ身」を倒置にすることで、皮肉を印象づけている。編集者は、こうした表現を評価したのだろう。

コメント

  1. すいわ より:

    「花筐の目の数ほど貴方には粒揃いの美しい人達が立ち並んでいいて、つまらない私など目の数にさえ入らず忘れられてしまっているのでしょう」なかなかな皮肉ですが、花筐の目の一つになりたい筈がないですね。なりたいのは花筐に生けられる「花」になりたいはず。私はあなたの花でありたい、が本音なのでしょうね。
    沢山選べる人がいる事を象徴しての「花筐」でしょうけれど、それに生けられる花が「選ぶ」人だとすと、そもそもどんなに整って粒揃いであっても「目」自体に意味はない事を思うと、更に皮肉の度合いが増しているようにも、、。

    • 山川 信一 より:

      花筐は、籠の網目が並んでいることとそれを入れるのが花だということが二重に働いていますね。籠の編み目が並んでいるのは、花筐だけではありません。なのに、敢えて花筐を出してきたのは、入れられるのが花であるからです。これで美しい人が並んでいるのを暗示します。だから、どうせ私なんか選ばれないでしょうと、拗ねているのですね。鈍感な男にどれほどの皮肉になっているかは心許ない限りですが。

  2. まりりん より:

    花筐の目が並ぶように貴方の周りには美しい方が沢山いらして、相変わらずのプレーボーイぶりですこと。私のような平凡な女には、貴方は最早関心はないでしょう。分かっております。今夜は何方の元を訪れようか、迷っていらっしゃるのでしょう。とうに諦めてはいるおりますが、こんな嫌味でも言わなければ私の気持ちが治りませんわ。 

    と、こんな感じでしょうか。。

    • 山川 信一 より:

      いい感じですね。二人の関係と作者の気持ちが伝わってきます。作者は嫌味の一つも言わずにはいられないのでしょうね。この歌で男の気を引くことができるとは思っていないでしょう。

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