《形見の矛盾》

題しらす よみ人しらす

かたみこそいまはあたなれこれなくはわするるときもあらましものを (746)

形見こそ今は仇なれこれ無くば忘るる時もあらましものを

「題知らず 詠み人知らず
形見が今は恨みの種である。しかし、これが無かったら、忘れる時もあるだろうなあ。」

「(形見)こそ」は、係助詞で強調を表し係り結びとして働き文末を已然形にし次の文に逆接で繋ぐ。「(仇)なれ」は、断定の助動詞「なり」の已然形。「(無く)ば」は、接続助詞で仮定を表す。「(あら)ましものを」の「まし」は、反実仮想の助動詞「まし」の連体形。「ものを」は、終助詞で詠嘆を表す。
別れた後の慰めにとあなたが置いていった形見の品々が今となってはかえって悩みの種になってしまった。しかし、もしこれが無かったら、あなたを忘れる時もあるでしょうにでも、それは望んでいません。絶対嫌です。現実にはそんなことはありません。だから、形見を捨てることもできません。
この恋を忘れられないのはつらい。しかし、忘れる時があるのも望まない。別れた人の形見は、そんな矛盾した思いを抱かせる。
作者は、別れた人の形見が矛盾した思いを抱かせると言う。ここに、形見を巡る発見がある。「こそ・・・已然形」の係り結びが利いている。これによる逆接が無いと、この歌は別の意味になってしまう。繊細な表現である。また、「まし」によって、現実には決して忘れていないことを表している。編集者は、こうした表現を評価したのだろう。
こうした思いの背景は様々あろう。「詠み人知らず」となっているから、作者は男とも女とも考えられる。様々な物語がありそうだ。ちなみに、『伊勢物語』の第百十九段では、誠意の無い男が「形見」だと言って置いていったものを見て女がこの歌を詠む話になっている。

コメント

  1. すいわ より:

    「忘るる“時”もあらましものを」形見の品があるばかりにそれが思い出す装置となっている。これさえ無ければあなたの事を忘れて辛い思いをせずにいられる時も出来るでしょうに、と。
    ならば形見を手放せば良いだけの事。形見のせいにして実は相手の事を片時も忘れる事など無い。常に思い続けている。思い続けたい、のですね。

    • 山川 信一 より:

      形見にまつわる裏腹の思い。しかし、本音は忘れたくない方にあります。こんな伝え方もあるのですね。

  2. まりりん より:

    恋とは、矛盾だらけですね。体裁を整えても、本心は違う所にある。理屈は通らない。。形見も、罪な役割ですね。

    • 山川 信一 より:

      恋は理屈通りにはいきません。損得勘定で考えたら、するものじゃありません。だから、現代は恋愛がしにくい時代です。何をするにも、損得勘定が基準になるからです。たとえば、東京都知事選にしても、無茶苦茶しているようで、損得勘定だけは忘れていません。恋愛よりも民主主義よりも損得が優先します。

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