《変わらない自分》

題しらす つらゆき

いにしへになほたちかへるこころかなこひしきことにものわすれせて (734)

古に猶立帰る心かな恋しきことに物忘れせで

「題知らず 貫之
昔にやはり立ち返る心だなあ。恋しいことに物忘れしないで。」

「(心)かな」は、終助詞で詠嘆を表す。「(せ)で」は、接続助詞で打消を伴う接続を表す。上の句と下の句は、倒置になっている。
まあまあ、そんなに興奮なさらないでください。どうも、あなたはお変わりになってしまったようですね。私は変わっていませんよ。情けないくらいにね。久しぶりにあなたに逢うと、やはり過ぎたあの頃の幸せな思いに立ち返ってしまいます。恋しい思いに、物忘れしないで。私の再会の思いは、あなたほど強烈なものではありません。けれども、確かなものです。じわじわと当時の気持ちに立ち返っていきます。変わらない自分に哀れを感じるほどにです。
作者は、相手は変わっても自分は変わらないと伝えることで対抗している。
前の伊勢の歌への返歌として読んでみた。誇張表現を駆使した歌とは対照的な歌である。大袈裟な表現や技巧を用いず、坦々と思いを表している。歌は、技巧有りきではなく、自分の思いにふさわしい表現を選べばいい、重要なのはその場にふさわしい表現であると言いたいのだろう。編集者は、対照的な歌としてここに載せたのだろう。

コメント

  1. すいわ より:

    ここへ来ていきなりストンと脱力するような感覚の歌。ハッと気付かされますね。歌は「応酬」するものでなく「贈答」なのだ、と。「古に猶立帰る心かな」あの頃へ一足飛びにプレイバック。どんな情熱でどんな思いをあなたに傾けていたか。私はあの時の恋心を今でも忘れずにいますよ、貴女は?と。実にシンプルに、でも鮮やかに歌で問う。恋のあり方、そして歌のあり方を。どこまでも「歌」の道を貫之は見つめているのですね。

    • 山川 信一 より:

      この歌はここに置いてこそこの意味を持つのでしょう。言葉はコミュニケーションの手段なのです。使う人、使われる場面に寄っていかようにも意味が変わってきます。
      なるほど、「応酬」ではなく、「贈答」ですね。

  2. まりりん より:

    本当に、同じ再会の歌でも前の歌とは随分違いますね。この歌では、気持ちを飾ることなく素直に表していて、スッキリ後味が良いです。幸せだった時の思い出を宝物のように大切に心の中にしまっていて、ほわっと気持ちが暖かくなります。

    • 山川 信一 より:

      この編集は、見事ですね。両方の歌が際立ちます。『古今和歌集』は続けて読むことで魅力が倍増しますね。

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