《飽きの訪れ》

寛平御時きさいの宮の歌合のうた とものり

せみのこゑきけはかなしななつころもうすくやひとのならむとおもへは (715)

蝉の声聞けば悲しな夏衣薄くや人のならむと思へば

「寛平の御時の后の宮の歌合の歌 友則
蝉の声を聞くと悲しいなあ。夏衣のように薄くあなたの心がなるだろうかと思うから。」

「(聞け)ば」は、接続助詞で確定条件を表す。「(悲し)な」は、終助詞で詠嘆を表す。「夏衣」は、「薄く」に掛かる枕詞。「(薄く)や」は、係助詞で疑問を表し係り結びとして働き文末を連体形にする。「(なら)む」は、推量の助動詞「む」の連体形。「(思へ)ば」は、接続助詞で原因理由を表す。
蜩が鳴いています。その声を聞くと悲しくなってきます。秋が近いので、夏衣が薄く感じられます。でも、この悲しさは、季節の移ろいに対するものばかりではありません。あなたの心にも飽きが近づいて、私に対して薄い心になるだろうかと思うからなのです。
作者は、夏の終わりの季節感をたとえにして、恋人の心変わりを憂える思いを表している。
この歌も前の歌同様に男の気持ちを詠んでいる。相手の心変わりが心配なのは、男も女と変わりがないのである。この歌は、「蝉の声」「夏衣」という題材を見事に生かしている。「蝉の声」で夏の終わりを暗示し、「夏衣」が薄く感じられると繋げる。そして、その薄さを恋人の心の薄さに転じている。編集者は、この目の付け所と展開の仕方を評価したのだろう。こんな歌を貰ったら、女はそのセンスのよさに男に惚れ直すのではないか。

コメント

  1. まりりん より:

    季節の変わり目を人の心変わりと重ねている。蝉の声が騒がしくなる夏の終わりに恋も終わってしまうのか。。本当にセンスの良い歌ですね。確かに、こんな歌を貰ったら惚れ直すかもしれません。
    友則は確か、古今和歌集の完成前に亡くなったのですよね。完成を楽しみにしていたでしょうに、無念だったでしょうね。

    • 山川 信一 より:

      「蝉の声が騒がしくなる夏の終わり」とありますが、ここはヒグラシがカナカナと寂しげに鳴いているイメージでしょう。
      やはり、友則は『古今和歌集』には欠かせない歌人ですね。完成を待たずなくなって、本人も無念だったでしょう。貫之も相当ショックを受けたようです。

  2. すいわ より:

    蜩でしょうか、しりすぼまりの蝉の鳴き声から夏の終わりを感じ、羽の透き通る様を衣の薄物に繋げるのですね。そしてその薄物から薄情、恋人の心変わりの予感を憂える。蝉の声の終える秋(飽き)の始まりの長月、薄物から単衣に着物を衣替えすると思うと尚更に恋人の心変わりが気に掛かってならないのでしょう。例えが秀逸。

    • 山川 信一 より:

      さすがの鑑賞です。「蝉の声の終える秋(飽き)の始まりの長月、薄物から単衣に着物を衣替えする」が素晴らしい。季節と衣替えとは一体をなしていたはずです。それを捉えています。長月は蝉の羽の透き通るような薄物から単衣に着替える季節ですね。作者の表現意図が伝わって来ます。

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