《仮定法で語る》

題しらす よみ人しらす

いつはりのなきよなりせはいかはかりひとのことのはうれしからまし(712)

偽りの無き世なりせばいかばかり人の言の葉嬉しからまし

「題知らず 詠み人知らず
嘘の無い世の中であるなら、どれほどあなたの言葉が嬉しいだろう。」

「(世)なりせば」の「なり」は断定の助動詞「なり」の連用形。「せ」は、サ変動詞「す」の未然形。「ば」は、接続助詞で仮定を表す。「まし」は、反実仮想の助動詞の終止形。
あなたは私が喜ぶことばかりおっしゃいますね。でも、それは手放しでは喜べません。だって、世の中は嘘ばかりですから。嘘のない世の中でしたら、どんなにあなたのお言葉が嬉しいでしょうね。
作者は、男の嘘も世の中が嘘ばかりだからと男に逃げ道を与えつつ、男から自分は例外だという言葉を引き出そうとしている。
逢瀬に於ける女の嘆きを扱う歌が続く。どの歌も久しぶりに訪れた男の言い訳が前提にある。しかし、これらは単なる嘆きの歌ではない。歌によって、女が男の心を取り戻す様々な試みである。言わば、歌の力の見せ所である。この歌もそのバリエーションの一つである。「せば・・・まし」の仮定法を用いたところに特徴かある。編集者は、この表現法を評価したのだろう。

コメント

  1. まりりん より:

    前の歌と状況は似ていますが、もう少し深刻なようです。前の歌では受容と期待が感じられたのですが、この歌には哀しみと諦めを感じます。今までに、淡い期待を何度も裏切られてきたのかも知れません。
    この歌で恋人の心を捉えられるか、どうでしょう…?

    • 山川 信一 より:

      歌は、事態の深刻になる順に並んでいるようですね。この歌では作者の嘆きは一層深まります。でも、諦めたらそこで恋は終わりです。作者は恋を継続するためにあらゆる手を使います。もしこれでダメなら、次の一手をと。

  2. すいわ より:

    詞書無しの題知らずよみ人知らずの歌は情報が少ない分、色々な想像が膨らみます。「嘘のない言葉なら」と言うのだから貰った歌にはそれは素敵なことが書かれていたのですよね。
    「今日はまぁ、あちらへは行かずとも良いかなぁ、ご機嫌伺いくらいはしておくか」と言うつもりの歌の返歌がこれなら切なげな女の様子に男は走るでしょうか?
    はたまた訪れた先の女を褒めるつもりで詠んだ歌に女がこの返歌をしたのなら、単に歌の言葉が信じられずに拗ねているのにとどまらず、もっと、まだまだ足りない、もっと言ってと挑発するような独占欲すら感じさせられます。全く違った女性像が浮かび上がるのが面白いです。

    • 山川 信一 より:

      「『嘘のない言葉なら』と言うのだから」とありますが、ここは「『いかばかり人の言の葉嬉しからまし』と言うのだから」でないと、意味が通りません。
      確かに「詠み人知らず 題知らず」の歌は、情報量の少なさを読み手は想像力でカバーしなくてはなりません。でも、そこに読む楽しみがありますね。

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