《明月と紅葉》

題しらす よみ人しらす

あきのつきやまへさやかにてらせるはおつるもみちのかすをみよとか (289)

秋の月山辺さやかに照らせるは落つる紅葉の数を見よとか

「秋の月が山の辺りをはっきり照らしているのは、落ちる紅葉の数を見ろと言うのか。」

「照らせる」の「る」は、存続の助動詞「り」の連体形。「見よとか」の「見よ」は、上一段活用の動詞「見る」の命令形。「と」は、引用を表す格助詞。「か」は、疑問の終助詞。
秋と言えば、月が美しい季節だ。しかも、今夜は満月である。その月の光が格別のひときわ明るく山のほとりを照らしている。闇の中に紅葉が浮かび上がる。すると、紅葉の葉が散る様子が数えられるほどに見えてくるではないか。まるで、月が紅葉の美しさを最後まで惜しんで見ろと言っているかのようだ。月も紅葉の美しさを放っておけなかったのだろうか。何と言う幻想的な風景か。明月と紅葉のコラボレーション。これは秋の月夜にしか見られない光景である。
作者は、月を擬人化している。それは、作者が月に意志を感じ、月を山辺の紅葉の美しさの最もいい理解者だと思うからである。それで、月は、紅葉の落ちる姿を一枚一枚しっかり見ろ、お前もそれを味わえ、言い換えれば、移りゆく秋の姿を味わい尽くせと命じているように感じる。作者は、こうして擬人化によって、月の明るさとそれに照らされながら散っていく紅葉の情趣を表しているのである。

コメント

  1. すいわ より:

    そう言われると、「月夜に紅葉」を思い浮かべる事がありませんでした。夜桜、仄白い桜の花は闇に映えるけれど、夜が紅葉の色彩を隠してしまう事と、紅葉が日向の匂いのするのとで夜との取り合わせを考えたことがありません。でも、秋の夜長、明るい月夜、ならばその一刻一刻を楽しまない手はありませんね。
    月は紅葉をスポットライトで抜いたのだから、散り行くその一片も見逃さずに見なさい、と。美に対する意識が高いです。

    • 山川 信一 より:

      現代では、桜も紅葉もライトアップされますね。闇の中に浮かび上がると、その美しさがいっそう引き立ちます。しかし、当時も夜桜ほど夜紅葉は、一般的ではなかったのでしょう。だから、こうして歌になったのかも知れません。しかし、こうして歌に詠まれると、これが新たな常識になります。我々の美意識はこうして作られてきました。

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