たちはなのきよきかしのひにあひしれりける女のもとよりおこせたりける
読人不知 よみ人しらす
おもふとちひとりひとりかこひしなはたれによそへてふちころもきむ (654)
思ふどちひとりひとりが恋ひ死なば誰によそへて藤衣着む
「橘清樹が忍んで逢っていた女の元から寄こした
題知らず 詠み人知らず
思う同士のどちらか一人が恋い死にしたら、誰に寄せて藤衣を着ようか。」
「(恋ひ死)なば」の「な」は、完了の助動詞「ぬ」の未然形。「ば」は、接続助詞で仮定を表す。「(着)む」は、意志の助動詞「む」の連体形。
お逢いできず苦しくてなりません。あなたがなかなか逢いに来てくれないからです。もちろん、私とてその事情はわかっています。許されない関係なのですから。きっとあなたも私同様に苦しくてならないことでしょう。このままでは、二人とも恋い死にしてしまいそうですね。でも、もしどちらか一人が先にそうなってしまったら、一体誰のこととして喪服を着たらいいのでしょうか。
作者は、なかなか逢いに来てくれない男に逢いに来てほしいという気持ちをこんな形で伝えている。自分は男の恋心を疑っていない、苦しいのは決して自分だけではない言う。つまり、なまじ男を責めないことで、男の誠意を引き出そうとしている。
この時代の恋は、男女が対等の立場にあったとは言えない。女は男が訪ねてくるのを待っているしかなかったからだ。もちろん、実際には他に逢う手段があったに違いないが、建前上はこうだった。そこで女はこうして男心を動かす歌を読まねばならなかった。しかし、「必要は発明の母」である。女は、人間洞察力・表現力が鍛えられただろう。『源氏物語』は、こうした環境の中で生まれたのだ。この歌は、藤色という色により喪服をイメージさせつつ、忍ぶ恋の辛さを表現しているところが独創的である。編集者はこの目の付け所を評価したのだろう。
コメント
確かに逢いにきて欲しい思いが溢れているのに相手を全く責めていませんね。「北風と太陽」の太陽のような働き掛けで相手の気持ちを引き出そうとしていて、お手本にしたくなります。
女は女で恋の駆け引きを楽しんでいる面もありますね。もちろん、真剣に。
「しのひにあひしれりける」女。男には妻があって大っぴらに会いにきてはもらえない関係。それでもお互いに情を交わし思い合っているはず。思いは募り狂おしいばかりにあなたに会いたい。それほどにお互いを求めて恋死にするほど。それなのに、もし今どちらかが身罷ったとして私の立場では公然と喪に服する事すら叶わない。この辛さ、お分かりになって?一人でいるとそんな妄想に取り憑かれてしまうのです(どうか会いにきて下さい)。会いに来て欲しいと言わずして男を動かす。ルールの外側だからこそ裏技を使わなくては太刀打ちできない。「恋」を飼い慣らすには一筋縄ではいかないのですね。
物語はそう紡がれますか。この歌もすいわさんの想像力を刺激して止みませんね。恐れ入りました。