《渡川のイメージ》

題しらす みはるのありすけ

あやなくてまたきなきなのたつたかはわたらてやまむものならなくに (629)

文無くてまだき無き名の竜川河渡らで止まむものならなくに

「題知らず 御春有輔
理不尽にもう無い名が立つ。その竜田川を渡らないでやめるものではないのになあ。」

「竜田川」に「立つ」が掛かっている。「(渡ら)で」は、打消の意を伴う接続助詞。「(止ま)む」は、未確定の助動詞「む」の連体形。「ならなくに」の「なら」は、断定の助動詞「なり」の未然形。「なくに」は、連語で詠嘆を表す。
筋が立たないことに、私があなたに逢ってもいないのに、早くも根も葉もない噂が立ってしまいました。でも、噂が立っても、竜田川を渡らないで、すなわち、この恋を遂げずに諦めるものではありません。私は自分の思いにどこまでも正直に進んで行きます。理不尽な噂などには屈しませんよ。私の愛はそんなに柔じゃありませんから。
作者は、噂が「立つ」と掛けて「竜田川」を出してきた。そして、渡川のイメージでこの恋に掛ける自分の本気度を示している。あらぬ噂を立てられるとこは相手にとっても迷惑である。ややもすると、相手はこの恋に気後れしてしまうかも知れない。しかし、作者は、それを逆手に取って、相手を口説こうとしているのである。
前の歌とは、地名の序詞繋がり、「噂」繋がりである。序詞は、「立つ」と同音の「竜田川」を導いている。その一方で、恋を遂げることを川を渡るイメージに重ねている。編集者は、この序詞の二重の使い方に創意があると評価したのだろう。

コメント

  1. すいわ より:

    誰が言い始めたか分からない噂、出所、情報の不確かさは責任の所在を曖昧にし、更に内容が歪になっていく。現代のネット社会と似ていますね。でも、私のあなたへの気持ちはそんな中傷に負けるようなものではない、うねる流れも越えて行きましょう、と言うのですね。情熱は伝わります。
    「あやなし(理不尽な)」、いつもの秋の竜田川なら美しい光景が見られるでしょうに、流れるのが噂では織りなす綾の色も色褪せる事でしょうね。

    • 山川 信一 より:

      「あやなし」に「綾なし」が掛かっているというご指摘、その通りだと納得しました。身に覚えのない噂による評判が流れる世の中は、まさに綾なき竜田川ですね。味気ないことこの上ありません。

  2. まりりん より:

    竜田川に立つ波と、根拠のない噂。確かに ちはやぶる神代もー の美しい竜田川とは別物のよう。
    すいわさんが仰るように、フェイクニュースに振り回される現代のネット社会と通じる所がありますね。

    • 山川 信一 より:

      「無き名」は、立つものです。これを無くすことはできません。ならば、養うべきは嘘を見抜く力、言わば、リテラシーですね。この「国語教室」でもそれを目指しています。

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