題しらす/この歌は、ある人のいはく、柿本人麿か歌なり
あはぬよのふるしらゆきとつもりなはわれさへともにけぬへきものを (621)
逢はぬ夜の降る白雪と積もりなば我さへ共に消ぬべきものを
「題知らず/この歌は、或る人の言うことには、柿本人麻呂の歌である。
逢わない夜が降る白雪のように積もってしまったなら、私までも一緒にきっと消えてしまうだろうなあ。」
「(逢は)ぬ」は、打消の助動詞「ず」の連体形。「(積もり)なば」の「な」は、完了の助動詞「ぬ」の未然形。「ば」は、接続助詞で仮定を表す。「(我)さへ」は、副助詞で添加を表す。「消ぬべきものを」の「消」は、雪が「消える」と作者が「死ぬ」を掛けている。「ぬ」は、完了の助動詞「ぬ」の終止形。「べき」は、推量の助動詞「べし」の連体形。「ものを」は、終助詞で詠嘆を表す。
雪が降り積もっています。あなたもご覧になっていることでしょう。私の思いは、この降る雪のようにどんどん積もっております。けれど、雪はどんなに厚く積もってもやがては消えてしまいます。私までもその雪が消えると共に死んでしまいそうです。こんな雪の夜は、あなたに逢えない寂しさが一層募ります。どうか、この雪が消えないうちにまた逢ってください。
作者は、恋心を降り積もる雪に託して映像化している。相手が視覚を通して作者の思いを感じ取るように仕掛けた。つまり、恋しい人に逢えない寂しさに耐えかねて消える雪のように死んでしまうと訴えたのである。「白雪」と「白」を出してきたのは、嘘偽りのない誠の恋心を暗示するためだろう。
ここからは季節や自然を詠み込んだ歌が続く。編集者は、恋の歌に於ける季節や自然の生かし方を示したのだろう。
コメント
積もった雪は、音さえも消してしまいます。しんと静まり返った夜に、しんしんと雪が降り続けて、ほの明るい中に作者が佇んでいる情景が目に浮かびます。その背中は寂しげで、雪に紛れて消えてしまいそう。
柿本人麻呂は、平安時代よりもさらに前、飛鳥時代? 1300~400年ほど前に活躍した人ですよね。そんな時代の、たった31音の歌が伝承され続けていることも凄いですね。
降り積もる雪に自分の姿と心を巧みに重ねていますね。仮名序に「かきのもとひとまろなむ、哥のひじりなりける」とあり、貫之の評価が極めて高いことがわかります。この歌が人麻呂の歌であってもおかしくありませんね。
人麻呂は、飛鳥時代から奈良時代に掛けての歌人です。日本の歌の伝統は侮れませんね。大切に受け継いでいきましょう。
逢えない夜が幾日も続く。それは雪のように静かに降り積もり、確実にあなたと私を隔てて行く。一方で私の思いは時間と正比例して募って行く。私の心と雪が同じならば、この雪と共にいつかは溶けて儚いものとなってしまう事でしょう。どうかそうなってしまう前に会いに来て下さい、、。逢えなかったその日ではなく、逢えない数日を過ごし、それを降り積む雪にたとえ、更に詠み手の心にもなぞらえたのではないかと思いました。夜の黒と雪の白。あなた次第で明暗が分かれる、と。
「逢えない数日を過ごし、それを降り積む雪にたとえ」は、その通りです。「逢はぬ夜のふる」の「ふる」は、「(雪が)降る」と「(逢わない夜が)経る」が掛かっています。そのことを指摘すべきでした。
この歌は「詠み人知らず」ですから、女の歌として「どうかそうなってしまう前に会いに来て下さい」と取ることもできますね。