《同情を買う》

題しらす 坂上これのり

わかこひにくらふのやまのさくらはなまなくちるともかすはまさらし (590)

我が恋にくらぶの山の桜花間無く散るとも数は勝らじ

「題知らず 坂上是則
私の恋に比べればくらぶの山の桜花が絶え間なく散ってもその数は勝るまい。」

「くらぶ」は、「比べる」と「くらぶの山」の掛詞。「じ」は、打消推量の助動詞「じ」の終止形。
くらぶの山の桜花が絶え間なく散っています。その花びらの数はどれほどのものでしょうか。数えることなどできません。けれども、その数がどれほど多くても、私の恋に比べれば物の数に入りません。なぜなら、私があなたにどれほど働きかけても一度だって成功したためしがないのですから。
桜が散るのを見ての思いは、人それぞれであろう。しかし、作者はこう言う。恋する自分は何を見ても恋に結びついてしまう。散る花びらは、自分の叶わぬ恋を象徴していると。作者は、相手の女の同情を買おうとしているのだろう。しかし、女はそれほど優しくはない。これがもし前の貫之のライバルの歌であれば、軍配は貫之に上がるに違いない。今一つ気が利いていない。
前の歌とは桜繋がりである。この歌も桜花に託して恋を語っている。前の歌が見立てと言う表現法による野に対して誇張表現を用いている。誇張表現を用いるなら、中途半端に用いないで、ここまで言った方がいい。編集者はその見本を示したのだろう。

コメント

  1. まりりん より:

    少し捻くれて読んでみました。
    私の恋は百戦錬磨です。絶え間なく散る桜の花よりももっと多く私は恋愛を経験しているのですよ。と、自慢している歌には捉えられませんか?
    誇張し過ぎですが。これでは同情どころか、反感を買うでしょうね。

    • 山川 信一 より:

      私の解釈では、「我が恋」を一人の人への働きかけと取りましたが、ご指摘のように、数え切れない恋をしてきたとも取れますね。相手の女性ならそう切り返すでしょうね。しかし、それこそが狙いで、作者は次の歌を用意していたのかも知れません。恋は一首で勝負が決まるものでもなさそうです。

  2. すいわ より:

    散り行く桜。千とも万ともつかぬ花びらが止まること無く降りしきる。それでも私があなたに何度もアタックしては敗れていることに比べたら私の降り積もる思い(を認めた文の数)には及ばない。
    確かに桜の花吹雪、美しい事でしょう。でも、桜は散り果てたらおしまいだし、「散る」事に例えると恋が成就する未来が見えない。貫之の歌と比べると、どうも押し付けがましいと言うか、「そんな事を言われても」という気持ちになります。貫之の歌の方に軍配が上がりそうです。

    • 山川 信一 より:

      桜の花を並べた編集の意図は何でしょうか。単に桜を題材にした恋の歌を並べたとも思えません。前の歌と結びつけたくなります。そう考えると、貫之の歌の引き立て役のようにも思えてきます。少なくともメリハリはついています。

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